カッパ8L型ロケットと糸川先生(1962年)
内之浦には、1962年8月に発射実験が行われたカッパ8L型ロケットの実験班員として初めて行きました。同じ年の5月に、道川でカッパ8型10号機の爆発事故が起き、それ以来、3ヵ月ぶりの実験でした。その事故では幸いにも負傷者はでませんでしたが、ロケットの能力が高まるにつれて実験場の安全対策の改善が必要となり、道川で予定されていた実験はすべて中止。それ以降の発射実験は、1961年から建設が始まっていた内之浦だけに限定されることになりました。そのため内之浦の工事が急ピッチで進められ、地元の婦人会の方までもが土木工事に参加してくださいました。事故から3ヵ月で実験を再開できたのは、地元の方々のご協力があったからだと思います。
当時の内之浦は、とにかく遠かったです。東京から寝台列車のブルートレイン「はやぶさ」に22時間ほど乗って西鹿児島まで行き、そこからローカル線とバスを乗り継いで行きましたので、丸一日かかりました。しかも、石がごろごろ転がっているような悪路で、バスは廃車の再利用なのか古い車でした。車中はものすごく揺られ、はらわたがよじれるような状態で数時間もバスに乗り、内之浦に着く頃にはもうヘトヘトでしたね(笑)。
内之浦宇宙空間観測所
内之浦は、宇宙研究という学術を目的とするロケットを発射する実験場として作られ、今も同じ用途で使われています。学術目的という点が世界でも珍しく、ユニークだと思います。学術的なものは公開するのが原則ですから、最初の頃は、視察を希望される方を拒みませんでした。アメリカのアポロ計画を実現させたフォン・ブラウン博士も内之浦にいらっしゃったんですよ。また、1985年〜86年にかけて地球に近づいてきたハレー彗星の探査は、アメリカと旧ソ連、ヨーロッパ、日本の宇宙機関が国際協力することになり、4機関会合が鹿児島で行われました。その際、皆さんが内之浦を見学なさった時は、ここまで詳しく見せてくれるところは他にないと言われたほどです。
最近は発射場の公開を制限しているようですが、学術目的なものを秘密にすること自体がくだらないと私は思っています。工学技術は汎用性を追求している学問で、その成果が、技術として実際に広く人の役に立つわけです。そしてその基本にあるものは、人間の知恵や知識です。知恵や知識は、時間が経てば自然と拡散する本質を持っていると思いますので、非公開にしてもただの時間かせぎのような気がするのです。でも今は、なかなかそうはいかない事情もあるようです。
イプシロンロケット(構想図)
イプシロンロケットの前のM-Vロケットは、製造コストが高いことなどが問題になり、2006年9月のM-V-7号機をもって開発が中止となりました。でも、ペンシルロケットの時代から維持・継承されてきた固体燃料ロケットの技術を途絶えさせたくないという思いが、私たちの間ではありました。そこで、M-Vの開発が中止になった後、現在イプシロンロケットのプロジェクトマネージャを務める森田泰弘さんたちと、数ヵ月に1回の勉強会を行ったのです。最初はロケット開発の低費用化の研究が中心で、そのうちに次世代固体ロケットの研究もするようになりました。この勉強会の成果こそが、イプシロンロケットだと思います。
勉強会では、ナノテクやITなどの新しい技術をロケットに取り入れるべきだという話をしましたが、森田さんは本当にITの技術をイプシロンロケットに取り入れました。イプシロンの発射管制はパソコン2台でできるようですが、これは森田さんの努力の賜物ではないでしょうか。日本には液体燃料ロケットのH-IIAや H-IIBロケットがありますが、固体ロケットにも液体ロケットにもそれぞれの良さがありますので、比較するものではありません。用途に合わせてうまく共存していってほしいと思います。そのためにも、イプシロン初号機の打ち上げをぜひ成功させてほしいです。
二段式スペースプレーン(構想図)
飛行機と同じように、空港から発着できる「スペースプレーン」ができると考えています。飛行機とロケットが一緒になった飛翔体です。現在、人工衛星や探査機は地上で組み立てられて、打ち上げ時の振動や、宇宙環境を模擬した試験を行ってから、ロケットで打ち上げられます。このような環境試験に多大なコストがかかっています。もしも、軌道上の基地までスペースプレーンで部品を運び、宇宙で組み立てることができれば、大規模な環境試験は必要なくなります。また無重力の宇宙では、構造物にかかる負荷が極めて少ないため、地上で作るよりもはるかに低い強度で作ることができます。スペースプレーンで数十回に分割して部品を輸送できれば、コストやリスクも大幅に減らせることができるでしょう。この先50年で、このような航空機発射システムが実現すると思っています。
500TVCロケットモータと秋葉先生(1965年)
地球のエネルギー資源問題が取りざたされる今、人類がこの先ずっと生きていくためには、それを宇宙へ求めざるを得ません。宇宙へ出て初めて、人間が永続的に生きていけるための方策を獲得できるわけです。ロケットは宇宙へ出るための手段ですから、そういう意味では、ロケット開発は、人類の持続可能性を高めるための技術を開発するということになります。それがロケット開発の魅力です。
宇宙への輸送手段は人類の持続性にかかわるものだとしっかり認識している人が少ないことですね。モチベーションを高くして、100年先の未来を見据えた技術開発をしてほしいと思います。
また、ペンシルロケット時代からの技術をそのまま受け継いでいるのも問題だと思います。要するに、今の人たちは素直すぎて、疑うことを知らないのです。本当は、かつての私たちのやり方を振り返って「これじゃいけない」と感じるところから始まって、それを何とかしてやろうという気持ちがなければならないのです。つまり、技術の根源に立ち返ることが必要だと思います。
ハイブリッドロケット「カムイ」の発射実験(2012年7月27日)(提供:HASTIC)
今は国家財政が困窮し、宇宙に関わる人の多くは予算がないと言って頭を抱えています。彼らは金を稼ぐことを自分の仕事だとは思っていないようですが、予算がなかったら自ら稼ぎ、経済活動を活発にすればよいのです。そのためには、自国のための開発だけではなく、世界の需要にも応える「宇宙産業」への転換こそが、日本の宇宙開発の進むべき道ではないかと思います。
私は宇宙科学研究所を退職した後、北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)の会長として、民間企業が中心となって進めるハイブリッドロケットの開発を手伝ってきました。その時に思ったのは、将来のロケット開発には、ローリスク・ハイリターンが求められる民間の技術が必要だということです。安くて信頼性のある技術を開発できれば、世界の打ち上げや探査を請け負うこともできるでしょう。その第一歩として、先ほど申し上げたスペースプレーンをぜひ実現してほしいと思います。
国際宇宙ステーションのような国際的な技術外交は、これまで通りJAXAが中心となって行い、技術の基礎研究や開発については大学や民間企業が参加しやすい環境をつくってほしいと思います。例えば、JAXAの施設や知的財産をもっと広く民間に活用してもらうなど、民間が低コストで開発しやすい体制をつくることがJAXAの役割ではないでしょうか。
宇宙の輸送技術はまだ成長段階にあるのですから、それをさらに進歩させてほしいです。そのためには、専門家にならないことですね。専門家の立場から時々外れて物事を考えた方がよいと思います。例えば、動物や昆虫などの生物を、物理や力学の原理から改めて見直してみるのもよいかもしれません。木の上に止まる鳥を見てみてください。鳥は滑走路がなくても飛び立ちますし、減速して止まることもできます。鳥は翼に発生する揚力を利用して飛んでいますが、トンボなど羽根を持った昆虫も同じです。人間は、動物や昆虫からもっと学ぶべきだと私は思っています。
それと、「もっとしっかりしろ!」と言いたいですね。私は日本が世界をリードしなければならないと思っていますが、若者にもぜひそう感じてほしいです。新しい打ち上げシステムを作って、世界中の衛星打ち上げや探査を請け負うぐらいの意気込みがあってもよいのではないでしょうか。誰かが最初にやらなければ、国も周りも動きません。宇宙開発をどんどん盛り上げてほしいと思います。
関連リンク: 日本の宇宙開発の歴史 宇宙研物語
ペンシルロケット物語