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長沼 毅 写真 宇宙における生命の可能性
			広島大学大学院生物圏科学研究科助教授
			長沼 毅
長沼 毅 写真 生命観のコペルニクス的転換。かつて、天動説から地動説へと視点の転換が行われたように、生命についても太陽中心主義から、惑星そのものに依存する地球中心主義的な生命観を取り入れるときではないでしょうか。
辺境の生物
サイエンスは、フロンティア――限界への挑戦です。フロンティアには最前線という意味もありますが、もともとは辺境を意味し、生物学では極限環境ということになります。「極限」とは人間中心的な発想であり、「辺境」という発想は文明中心的です。ですが、辺境が深海、地底、南極、北極、高山、砂漠という地球生物圏の端であるということに間違いはありません。
辺境は、地球生物圏と宇宙生物圏を結ぶ窓口のようなもの。辺境にすむ生物をつぶさに見ることによって地球生物の限界や可能性を知ることができるでしょう。そして、私たちは地球生物の輪郭を描くことができるのです。
地球中心的な生物圏
中原中也は「命なき石の悲しさよ」と詠みました。
確かに石に命はありません。しかし石の中には生物がうごめいています。今では、地底の微生物の研究によって、地下5000メートルまで微生物が住む世界が広がっていることが明らかになっています。地底という岩石と水の世界の生物は、酸化還元反応で得られる化学エネルギーを利用して生きています。その酸化還元反応を支えているのは、連続した水の分解です。つまり、水が水素と酸素に分離されるサイクルが維持されることが必要なのです。

私たちが知っている地球の表層は、光合成の生物圏です。それは、地球が太陽の恵みを受けた奇跡の星だと教えられる所以となった場所であり、太陽中心論的生物圏です。
これに対して、地底の海は惑星地球自身がその生命のゆりかご。地球の地下奥深くの高温の岩体が地下水を酸素と水素に分離するということが行われている場所です。これは地球中心的な生物圏で、「惑星が生み、惑星が育む」という生命感を支えている場所なのです。

生命とは
水素と酸素は相思相愛で水になった。それを地熱や光が引き離す。その仲を炭素が取り持ち有機物“生命の渦”が作られるシュレーディンガーは、1944年に書いた「生命とは何か――What is Life?」という本の中で、生命を「負のエントロピーを食って、構造と情報の秩序を保つシステムである」と定義しています。細胞、固体レベルでは正しい定義です。しかし、私たちは惑星生物圏というレベルで再定義すべきなのです。つまり、炭素型の生命について「炭素のもっとも還元された形であるメタンと、もっとも酸化された形の二酸化炭素の間で揺れ動く不安定な存在である物質――有機物、これこそ生命である」と。

うたかたの存在である有機物を維持するには、還元力と酸化力の連続的な供給が必要であり、それは水の分解です。宇宙に最も多い水素と3番目に多い酸素は、とても結びつきやすく、水になります。地熱や光で引き裂かれても、また結びつこうとする。地球ではその間を炭素が取り持ち、有機物が作られます。
メタンを燃やす(酸化する)と二酸化炭素になり、燃焼してエネルギーが出ます。このエネルギーには落差があります。その勾配の途中でいろいろな有機物が生じてくるのです。

生命は酸化・還元のエネルギー流勾配にある
						“渦”のようなもの。H2とO2の供給が終われば“渦”も消える。
						“渦”(生命)を維持するにはH2とO2の連続的供給が必要生命とは酸化還元のエネルギー流の勾配における渦のようなものです。水素と酸素の供給が終われば渦は消えます。高低がなければ水は流れず、それは渦が消えるのと同じことです。渦すなわち生命を維持するには酸素と水素の連続的な供給が必要となるのです。
方丈記の中の鴨長明が詠った歌に、「行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」というのがあります。これに対して私たちはこういいましょう。「行く川の渦も絶えずして しかももとの水分子にあらず」。

渦を作る分子は一秒一秒入れ替わっています。私を作る原子や分子は数ヶ月で入れ替わります。私は物質論的には1年前の私ではありません。したがって、私は1年前の約束を守る必要はありません。
しかし、人は私に約束を守れとおっしゃいます。なぜか。それは、人は私というアイデンティティを、物質にではなくて、私という生命の渦というパターンにおいているからです。私たちは、本質的に本能的に生命というのは物質ではなくてパターンであるということがわかっているのです。生命の渦というパターンを維持するものは、水素と酸素の連続的な供給、ひいては水の分解です。水の分解さえあれば、その惑星に生命が存在しうるといえるのです。

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