シュレーディンガーは、1944年に書いた「生命とは何か――What is Life?」という本の中で、生命を「負のエントロピーを食って、構造と情報の秩序を保つシステムである」と定義しています。細胞、固体レベルでは正しい定義です。しかし、私たちは惑星生物圏というレベルで再定義すべきなのです。つまり、炭素型の生命について「炭素のもっとも還元された形であるメタンと、もっとも酸化された形の二酸化炭素の間で揺れ動く不安定な存在である物質――有機物、これこそ生命である」と。
うたかたの存在である有機物を維持するには、還元力と酸化力の連続的な供給が必要であり、それは水の分解です。宇宙に最も多い水素と3番目に多い酸素は、とても結びつきやすく、水になります。地熱や光で引き裂かれても、また結びつこうとする。地球ではその間を炭素が取り持ち、有機物が作られます。
メタンを燃やす(酸化する)と二酸化炭素になり、燃焼してエネルギーが出ます。このエネルギーには落差があります。その勾配の途中でいろいろな有機物が生じてくるのです。
生命とは酸化還元のエネルギー流の勾配における渦のようなものです。水素と酸素の供給が終われば渦は消えます。高低がなければ水は流れず、それは渦が消えるのと同じことです。渦すなわち生命を維持するには酸素と水素の連続的な供給が必要となるのです。
方丈記の中の鴨長明が詠った歌に、「行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」というのがあります。これに対して私たちはこういいましょう。「行く川の渦も絶えずして しかももとの水分子にあらず」。
渦を作る分子は一秒一秒入れ替わっています。私を作る原子や分子は数ヶ月で入れ替わります。私は物質論的には1年前の私ではありません。したがって、私は1年前の約束を守る必要はありません。
しかし、人は私に約束を守れとおっしゃいます。なぜか。それは、人は私というアイデンティティを、物質にではなくて、私という生命の渦というパターンにおいているからです。私たちは、本質的に本能的に生命というのは物質ではなくてパターンであるということがわかっているのです。生命の渦というパターンを維持するものは、水素と酸素の連続的な供給、ひいては水の分解です。水の分解さえあれば、その惑星に生命が存在しうるといえるのです。
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