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飛行機のあゆみ100年、そしてこれから

元航空宇宙技術研究所 業務部長
						寺田博之


 ウイルバーとオービルのライト兄弟がフライヤー1号によってノースカロライナ州キティホークの丘で人類初の動力飛行に成功したのはちょうど100年前の1903年12月17日のことでした。この時の飛行は距離およそ250m、時速16km程度でした。「鳥のように自由に空を飛びたい」というのは人類の夢でしたから、それ以前のリリエンタールをはじめ多くの人たちが無動力飛行や鳥の研究を行っていた上での成功といえます。わが国でも、ライト兄弟より8年も前の1895年には二宮忠八がフライヤー1号よりもはるかに性能のよさそうな玉虫型飛行機を考案していました。
 ライト兄弟以後、飛行機はアメリカ、ヨーロッパを中心に、冒険や記録作りの対象としてせきを切ったように熾烈な開発競争が進められました。1919年には早くも3000kmに及ぶ大西洋横断に成功(リンドバーグの「スピリットオブセントルイス」による大西洋単独横断はこの8年後)しています。

 しかし、飛行機が空の輸送手段として確固たる位置を占めるようになったのは、ツェッペリン型飛行船(長さ247m、90人乗り)が1937年に、浮力を得るために用いていた水素ガスの爆発火災による悲劇的な事故を起こした後のことです。
 飛行機はまた、戦争の道具としても利用され、このことが飛躍的に飛行機の性能向上を促したという事実もあります。ドイツ、日本、アメリカ、ソビエト、イギリスなどでは、優れた性能の航空機が次々と開発され実戦配備されていきました。そして第二次世界大戦においては、航空機の性能が戦局を左右したと言っても過言ではありません。大戦の初期には、パイロットの安全を犠牲にしてぎりぎりまで軽量化を図り、運動性能を高めた零戦が大きな活躍をしました。しかし以後、エンジン・運動性能に関する技術を米国に追い越され、敗戦に至ったことなどはその一例です。






ライト兄弟の人類初飛行


零戦


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