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技を体得するための訓練を重ねる

Q. ロシアでの訓練とアメリカでの訓練とではどう違うのでしょうか?

ISSのロボットアームの操作訓練
ISSのロボットアームの操作訓練

異常事態に対応できる「技」を体得するという意味では、ロシアもアメリカも本質的にとても似ていると思います。万が一の場合のために準備をしっかりとして、たとえ予期せぬことが起きても訓練での経験を応用するということです。
ただ1つ違うと思ったのは、ロシアでは1人の先生が連続性を持って教えてくれることです。例えば、ソユーズ宇宙船の姿勢制御システムの授業が50時間あった場合、同じ先生がずっと受け持ちます。しかも多くの先生が30年近く教えていて、生き字引のような方ばかりなんです。ソユーズの歴史なら何でも知っているという感じでしたね。一方アメリカの場合は、姿勢制御システムの中でもいくつかの項目に分かれ、その項目ごとに先生が変わります。これはどちらの方法が良い悪いということではありません。ロシアの宇宙開発の奥深さの一面に触れることができて、すごいなと思いました。

Q. これまで受けた訓練の中で、特に印象に残っているものは何でしょうか?

ロシアでのサバイバル訓練
ロシアでのサバイバル訓練

やはりロシアでのサバイバル訓練ですね。身体が辛かったという意味で、とても印象に残っています。3人のソユーズ宇宙船は帰還の時にカザフスタンの平原に着陸するのですが、緊急事態の時には雪のシベリアやカスピ海などの水上に着くかもしれません。そのような非常時に対処するための訓練を、気温がマイナス20度ほどの真冬に行いました。その訓練では48時間屋外で過ごしましたが、風が強く体感温度がマイナス30度くらいあるので、防寒着を厚着しても寒いんです。宇宙船のサバイバルキットの中に入っている斧やナイフを使って、周囲の森の木を切って焚き火をしましたが、夜は交代で火の番をします。冬なので太陽が上がってくるのが朝9時頃、そして夕方4時過ぎには日が落ちて暗くなります。夜が長くて暗くて寒いんです。私は外科医として勤務していた頃は、少しでも時間があれば仮眠できるのが特技だったんですが、その時に初めて寒くて眠れないという経験をしましたね。手がかじかんで凍傷になるかと思ったり、精神的にも肉体的にも鍛えられた訓練だったと思います。
またこれもロシアですが、遠心加速器を使ったソユーズ宇宙船の手動帰還モード訓練というのがあります。遠心加速器は、打ち上げや帰還の大気圏突入の時にかかるGを模擬する装置で、胸の前から後ろにGがかかる状態を作れます。通常、帰還する時の宇宙船の操作は自動モードですが、万が一の場合は手動で操作しなければなりません。その操作を、Gがかかった状態で行う訓練です。訓練中は、体重の5倍、最大5Gもの重力がかかることもあり、その状態でも落ち着いて操作しなければならないのです。私は船長補佐ですので、船長が何らかの理由で操作ができなくなった時には私が操作しなければなりません。訓練を受けながら改めて自分の任務の重要性を再確認しました。

夢が実現される日が迫る!

Q. そもそも宇宙飛行士になりたいと思ったのは何故でしょうか?

スペースシャトルドッキング時の機体撮影の訓練
スペースシャトルドッキング時の機体撮影の訓練

子どもの頃から宇宙に憧れていて、とにかく宇宙で仕事をしたいと思ったんです。宇宙での実験だけでなく仲間の具合が悪くなった時にも、これまで医師として蓄えてきた技術や知識を活かせると思い、宇宙飛行士に応募しました。

Q. 宇宙飛行士に認定されてから約10年間が経ちましたが、振り返ってみてどう思われますか? この間に宇宙への思いは変わりましたか?

宇宙飛行士候補生としての訓練を始めた時から考えると、12年が経ちました。私が訓練を始めた頃に生まれたお子さんが小学校6年生になるぐらいですから、打ち上げまですごく長かったように思います。でも逆に言うと、十分に準備できる時間があって良かったと思いますね。ロシア語を習い始めた頃は、この先ちゃんとロシア語で技術的な議論をできるようになるのだろうかという心配もありましたが、今ではソユーズ宇宙船を安全に運用できるところまで来られましたからね。「12年間」と言葉で聞くと長く感じますが、その時々でやらなければならないこと、身につけるべきことがたくさんあって集中してきましたので、振り返ってみると短かったような気もします。
また宇宙に対する気持ちは、宇宙飛行士を目指した頃とそれほど変わっていません。2003年のコロンビア号の事故後は先が見えない時期もあり、これからどうなるんだろうと思ったこともありましたが、次第に、自分でコントロールできないようなことを悩んでも仕方がないと思うようになりました。私は「継続は力なり」という言葉が好きなんですが、自分でできることを1つ1つ積み重ねていくことで少しでも目標に近づきたいという心境になっていったんです。

Q. ご自分のミッションを通じて子どもたちに伝えたいことはありますか?

大きくは3つあります。1つ目は、宇宙に限らずいろいろなことに興味を持ってほしいということです。勉強だけでなく運動や、絵画や音楽などの芸術などでも良いですし、日常の生活の中で何か興味を持てるものを探してください。そうすれば、自分の好きなことや得意なこと、向いていることがきっと見つかるはずです。
2つ目は、夢を持つことです。将来こんな仕事をしてみたいとか、こんなふうになりたいというような夢です。
3つ目は、その夢に向かって一歩ずつでも良いから努力をすることです。夢が大きいと実現が大変で時間がかかることもあるでしょう。また、すべての夢が必ずしもかなうわけではないでしょう。しかし夢を持ち続けてかつ努力を続けていれば、何かしらの形できっとその夢はかなうと私は信じています。私自身の夢の話をすると、実は私はスペースシャトルで宇宙に行きたいと思っていたんです。それはかないませんでしたが、ソユーズ宇宙船で宇宙に行くという別の形で夢をかなえることができました。ですから皆さんにも夢に向かって努力してほしいと思います。

初飛行、初の宇宙長期滞在は自然体で

Q. これまで先輩の日本人宇宙飛行士からどんなことを学びましたか? また、何かアドバイスを受けていますか?

第28次/第29次長期滞在クルー(提供:JAXA/NASA)
第28次/第29次長期滞在クルー(提供:JAXA/NASA)

私は1999年に宇宙飛行士候補者に選ばれ、これまでいろいろな機会で先輩の仕事を見てきました。いろいろ勉強させていただきましたが、特に、一緒に宇宙へ行く仲間や、地上で支援してくれるスタッフとのコミュニケーションがすごく大切だということを学びましたね。コミュニケーションをよくとりながら、チームとして良いパフォーマンスをしていくということです。
また、野口宇宙飛行士は2009年12月から約半年間宇宙に滞在しましたが、その間に地球の写真をたくさん撮ってインターネットのTwitterブログで紹介していました。これはとても評判が良く、宇宙からの情報をリアルタイムでアウトプットすることの大切さを学びました。私も、宇宙から見た地球や宇宙での生活を皆さんにリアルタイムで紹介できればと思います。
先輩からは、肩に力を入れず自然体でいた方が良いとアドバイスされています。訓練の時は本番だと思ってやって、本番の時は練習だと思ってリラックスした方が良いと言われ、その通りだなと思いました。しかし「言うは易く行うは難し」なので、アドバイスを意識して頑張りたいと思っています。

Q. この長期滞在ミッションの先にある、古川宇宙飛行士の目標は何でしょうか?

個人的には、日本独自の有人宇宙船を作ることにぜひ関わりたいと思います。今回のソユーズ宇宙船の運用およびISS長期滞在の経験を活かして、日本の有人宇宙船をぜひ実現させたいですね。

Q. ISS長期滞在に向けた抱負をお聞かせください。

12年間訓練してきたものの結果を出す時がいよいよ近づいてきました。宇宙で仕事をしたいという私の夢の実現まで間近となり、ワクワクして嬉しいのと同時に、自分の責任が重大ですから身が引き締まるような思いでいます。宇宙で皆さんのためになる仕事ができるように頑張っていきたいと思いますので、応援をよろしくお願いします。

古川聡(ふるかわさとし)
JAXA有人宇宙環境利用ミッション本部 有人宇宙技術部 宇宙飛行士
1989年、東京大学医学部医学科卒業。2000年、同大学博士課程(医学)修了。1989年から東京大学医学部付属病院第1外科学教室のほか麻酔科や外科に勤務し、消化器外科の臨床および研究に従事。1999年、NASDA(現JAXA)よりISS搭乗宇宙飛行士として選定され、基礎訓練に参加。2001年、宇宙飛行士として認定される。訓練のほか「きぼう」日本実験棟の開発・運用に関わる技術支援業務にも携わる。2004年、ソユーズ-TMA宇宙船フライトエンジニアの資格を取得。2006年、NASAよりミッションスペシャリストとしての認定を受ける。2008年5月、野口宇宙飛行士が搭乗するISS第22次/第23次長期滞在クルーのバックアップクルーに、同年12月にISS第28次/第29次長期滞在クルーのフライトエンジニアに任命される。
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