1947年東京都生まれ。獨協大学外国語学部卒業。
1991年から17年余約800回続いた週刊誌連載「メタルカラーの時代」では、「モノつくり」に携わる人々の仕事と人生をいきいきと描き「モノつくり」への関心を高めることに貢献し東京クリエーション大賞で大賞を受賞した。バイコヌール宇宙基地やケネディ宇宙センター及びはやぶさ取材など「宇宙」は最も力を入れているライフワーク。1990年からNHK総合テレビ外部キャスターとして『ミドナイトジャーナル』などを7年にわたり担当。愛知万博では愛知県館総合プロデユーサーを務めた。JAXA嘱託、月探査に関する懇談会(内閣府)委員、日経地球環境技術賞、講談社科学出版賞、各選考委員。日本生態系協会理事。日本文藝家協会会員。
1987年4月、(株)東芝(宇宙開発事業部)に入社。宇宙機搭載GPS受信機、きく6号の姿勢制御系の開発などを担当。1993年10月、科学技術庁 航空宇宙技術研究所(現JAXA)に移籍。宇宙往還技術試験機(HOPE-X)の航法システムの研究開発を担当し、高速飛行実証機(HSFD)の自動離着陸実験などを成功させる。2005年より現職、次世代運航システム(DREAMS)や乱気流検知システム(LIDAR)の研究開発に従事している(DREAMSプリプロジェクト・チーム長を兼務)。工学博士。
1973年4月、宇宙開発事業団(現JAXA)に入社。N-IロケットからH-IIAロケットの構造・機構系(火工品)、固体ロケットブースタ(SRB-A)の開発、宇宙実験用小型ロケット(TR-IA)の微小重力実験装置、国際宇宙ステーション『きぼう』の共通実験装置の開発等を担当する。H-IIAプロジェクトチームサブマネージャを経て、2007年8月より現職。
1974年、宇宙開発事業団(現JAXA)に入社。打上管制部に所属し、種子島宇宙センターでの勤務も含め、N-IIロケット及び N-IIロケットの打ち上げ総指揮者(LCDR)などを担当。H-Iロケットの開発、H-IIAロケット打ち上げ射場の開発に携わった後、2000年に小型ロケットプロジェクトマネージャ。2004年、H-IIAロケットプロジェクトのサブマネージャに就任しRTF(Return To Flight)となるH-IIAロケット7号機の打ち上げを成功させ、2005年より現職。
1992年、宇宙開発事業団(現JAXA)に入社。技術研究本部でランデブ・ドッキングの研究・開発に従事。1998〜1999年技術試験衛星ETS-VIIでのランデブ・ドッキング軌道上実験においてフライトディレクタを担当。1999〜2000年欧州宇宙機関(ESA)/欧州宇宙技術センター(ESTEC)にて欧州補給機(ATV)開発・検証作業に参画。2000年より宇宙ステーション補給機(HTV)ランデブ系開発、2006年よりHTV運用整備において中心的な役割を果たす。2009年1月HTVの初代フライトディレクタとして認定を受け、2009年9月HTV1号機の初飛行とISSとのドッキングに成功。