LCDRの仕事は作業全体の流れをコントロールすることです。作業は各々スケジュールに沿って進められているものの、何か問題が起こると順番が入れ変わることがあり、その場合、並行して行われている作業が干渉しないように調整します。そのためには、どの作業は一緒にできないとか、どこに干渉の要因となり得ることがあるかを把握しておかなければなりません。特に打ち上げ直前は、問題が発生しても時間内にトラブルを解決し、定められたロンチウィンドウ(打ち上げ可能時間帯)内でロケットを打ち上げられるよう指示を出す必要があります。打ち上げ当日の緊張の中で、的確な判断をするためには、そのロケットの特徴、前号機からの設計変更点など、さまざまなことを知っておく事前の準備がとても重要です。
オーケストラの指揮者にもいろんなタイプがいるように、打ち上げを成功させられれば、LCDRの仕事のやり方は自由なのだと思います。ただ、ロケットのことをきちんと理解しておかないと、打ち上げまで辿り着くことはできないと、自分の経験から実感しています。ロケットのことをよく知ろうと勉強して、誰よりもロケットのことを大切に思うこと。その気持ちがあれば、打ち上げに向けて作業するたくさんの人達と気持ちを一つにできると思います。ロケットには、みんなの頑張りと思いが詰まっています。そのロケットの打ち上げの指揮を執らせてもらえることに誇りを持つことが大切だと思います。
リハーサルなどの訓練を通して感じたことは、自分が動揺しても仕方ないと割り切ることですかね。私が動揺したら、周りの人も心配になるだろうし、誰よりも大変なのは、異常が起きたところの担当の人ですから。その人を周りがサポートできる環境を作るために、人の動きを割り振って誘導してあげるのが私の仕事です。自分が何か答えを出さなければならないという仕事ではないので、慌てる必要はなく、少しずつでも良い方向に動かせればいいなという気持ちでやっていました。
H-IIBロケット試験機の打ち上げ(2009年9月11日)
ロケットのことを現場で学びたいと希望して、入社後すぐ種子島宇宙センターに勤務することになりました。着任した所属部署は、ロケットの打ち上げを支援する発射管制課です。当時の私の仕事は、アシスタントとして先輩のLCDRの仕事を支えることでした。毎日遅くまでロケットの勉強をして、打ち上げ当日に堂々と指揮を執る先輩の姿を見て、LCDRの仕事は大変だけど非常にやりがいがあると感じました。
そこで、私も LCDRになることを目指しましたが、種子島勤務の4年間でそのチャンスは巡ってきませんでした。その後、H-IIAロケットの打ち上げ業務が民間に移管されたことで、JAXAの LCDRは途絶えてしまいました。そんな中、上司が次の新しいロケット、 H-IIBロケットのLCDRをしないかと声をかけてくれたのです。私が初めてLCDRの仕事に就けたのは、H-IIBロケット試験機の打ち上げが行われた2009年の9月でした。初めてLCDRに憧れを持ったときから7年半も経っていましたが、念願のLCDRとして 3機のH-IIBロケットの打ち上げに携わることができ、本当に多くの方に感謝しています。
打ち上げ270秒前から自動カウントダウンが始まると、管制室内の空気はピンと張りつめ、独特な雰囲気になります。管制室内のメンバー全員が、自分の担当のデータを注視しながら、何も問題が起きずにロケットが無事に打ち上がることを心から望んでいます。打ち上げを待つロケットに願いを込めて見守っている、その緊迫感と一体感がたまらなく好きで、それを感じられるのが最も貴重な経験だと思います。
H-IIBロケット2号機の打ち上げ(2011年1月22日)
ロケットが無事に「こうのとり」を軌道に投入し、打ち上げが成功したと分かった時の達成感は、それまでの大変さを忘れさせてくれるものです。打ち上げに向けて勉強することがたくさんあって、そのために費やす時間は膨大です。また、特に打ち上げ前日から行われるY-0の作業では、いつ何が起こるか分からないという、常に気が張った状況が続きます。だから、打ち上げが成功して終わってみると、体力的にもヘトヘトですが、終わった後の達成感が何よりのやりがいですね。長期間に渡ってロケットの製作や組立、整備を共に頑張ってきた仲間達と、打ち上げの成功を一緒に喜ぶことができるのは、本当に素晴らしいことだと思います。 Q. 女性初のLCDRだったそうですが、それは意識しましたか? 女性初のLCDRということはあまり意識をしませんでした。入社してすぐに発射管制課に配属された時も女性初で、周囲の人から「大丈夫?」ってよく聞かれましたが、私の中では、女性だから男性だからという意識はありませんでした。みんなの心配とは裏腹に、私自身は、種子島での仕事がとても楽しく、そこにいられることが本当に嬉しかったんです。私は分からないことや疑問に思ったことがあると、誰にでも聞くようにしていたので、時にはすごく生意気だったと思います。でも、年下の私の話でも聞いてくれるような人間関係が現場にあったのは、すごく恵まれていました。現場で働く年上の男性はみんなジェントルマンだったので、女性ということで優しくしてくれたのかもしれませんね(笑)。
H-IIBロケット3号機の打ち上げ(2012年7月21日)
LCDRとして最後の打ち上げということは、私にとってとても大切なことでした。これで卒業になるので、思い残すことなく、三菱重工業の方々に後を託せるように、良い仕事がしたいという気持ちで臨みました。私の仕事の仕方を皆さんに見ていただくことで、LCDRの仕事の素晴らしさや楽しさを知ってほしかったし、誇りを持って全力で仕事をするという姿勢を、引き継いでほしいという願いもありました。
実は、今回、 LCDRのアシスタント3名の内、2名が2号機のときとは違って新しく一緒にLCDRの仕事をする方でした。彼らは、三菱重工業でずっとロケットの仕事をされていた方でしたので顔なじみではありましたが、一緒にH-IIBのLCDRをするのは初めてでした。そのため、私から、定期的に集まって勉強会をしようと提案しました。LCDRの仕事はチームワークと信頼関係が1番大事だと思っていますので、打ち上げまでにできるだけお互いを知って、頼り、頼られる関係を築いておきたかったんです。その勉強会の成果もあって、とても良いチームワークができたと思います。新しい仲間との仕事を成功させたいという意味でも、この打ち上げにかける思いは強かったですね。
将来的に、ロケットの技術がさらに進歩したら、打ち上げはもっと簡単になります。でも今はまだたくさんの人の力が必要で、その結束力と協力がなければ打ち上げは成立しません。H-IIAで培ってきた三菱重工業の皆さんのプロ意識はとても立派で、結束力も固いので、今後のH-IIBの打ち上げを安心して任せられると思っています。 Q. 白石さんはH-IIBロケットの開発にも携わったそうですね。白石さんにとって「H-IIBロケット」とはどんな存在でしょうか? 試験機から携わったH-IIBロケットは私にとって一番身近なロケットです。H-IIBロケットは、試験機で行ったエンジンのクラスタ化や1段タンクやフェアリングの大型化のほかにも、さまざまな新しいチャレンジに挑んできました。例えば、2号機で行われた第2段制御落下実験があります。これは、これまで宇宙のゴミになっていたロケット上段を、安全な海域に制御落下させる実験で、2号機での成功によって、それ以降のH-IIBロケットの打ち上げに取り入れられています。また、3号機では新型のアビオニクス(電子機器)を搭載しました。アビオニクスはロケットの頭脳の部分であり、それを新しくすることによって地上の関連設備も改修しなければなりませんでした。
H-IIBは、このような新しい試みを成功させるために、いくつかのハードルを乗り越えて、立派に育ってくれたロケットです。ロケットのことをつい擬人化してしまいますが、私にとってH-IIBは「うちの子」です。試験機から2号機、3号機と大切に育ててきた子供たちという感じで、励まし励まされながら、一緒に成長してきた特別な存在ですね。