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科学者の風流  
 このころ、道川海岸の砂浜で石を集めることが、みんなの間にひろまった。風浪と風砂で角がとれ、石相を露わにした石は小粒な水成岩で、この石が当時の六本木・生研の机の上や実験台の脇を飾ることがままあった。

「これはマチスばりですよ」

 野村民也の差し出した石を見て、みんなは息を呑んだ。クリーム色の滑らかな表面に、まるで「火星の運河図を描いたように、海藻様のものが細い不規則線に象眼された美的なものであった」(下村)。いつの時代も、ロケット実験の合い間の無聊は、このように微笑ましく埋められていく。

道川の実験場のテント内には、小さな黒板がかかっていて、毎日その日の実験日程や連絡事項が、こまごまと書かれていた。ある日、この黒板に俳句が書かれていて人目を惹いた。

空高く 想ひはるけし 秋の海。

 作者は糸川で、彼はこの句に天地人の三才を詠んだ。この三位一体の協力がなければ、観測ロケットの成功は達成できない、という願望をこの句に寄せたものであった。




ベビーと糸川

ロケットのように走る男
 こんな話もあった。ある日の午後、若い技術者が海岸を全速力で走っている。それが何とも奇妙な格好なのだ。頭に何か四角い箱をくくりつけている。風邪を引いた時の氷嚢にしては、猛烈なスピードで駆けているのが怪しい。その若者はちょっと走っては横を向き、何かを確かめるように見つめ、また走っては横を見る、という動作を繰り返している。「もっとちゃんと追いかけてくれなきゃ困りますよ。こっちだって必死なんだから。」

 彼ががっかりしたような表情で叫んだ時、すべては氷解した。彼が頭に乗せていたのはロケットに搭載するトランスポンダー。ロケットの位置を知るため、地上のアンテナから発せられた電波を受けとめて、すぐ返事の電波を地上へ送る受信器と送信器を兼ねた機器である。追跡するレーダーアンテナが「手動式」であるため、アンテナ操作を行う人間は練習をする必要がある。ところが海岸から見える動く物体は船ばかり。こんな遅いものでは練習にならない。そこで彼が、糸川の命令で、ロケットの代わりにロケットと同じ速さで走って(まさか!)、アンテナ追尾のリハーサルを助けたのである。

 何度もダッシュを繰り返すうち、この若者は、肝腎の打上げの時にはヘトヘトになってしまい、とても実験どころではなかった、と述懐している。

 意外性に溢れ、情熱に満ち、一つ一つの出来事への感激がとてつもなく大きかった日本のロケットの草分けの頃である。


道川記念碑
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