―― 具体的にどういうことを論じあうべきだと思いますか。 立花 まず、日本の航空宇宙技術はどういう目標を設定すべきかということがあります。 その前にそもそも日本がその方向に動員可能なリソース(資金、ヒト、モノ、組織)などをどれだけ持っているのかをおさえておくことが必要です。その上で、資金はGDP比でこれくらいしか使ってないが、アメリカなみは無理としても、フランスなみくらいは使うべきだ、といったいろんな議論がでてくると思います。 次に短期未来(10年以内)に何をめざすか、中期未来(30年〜50年)はどうか、長期未来(50年〜100年)はどうかといった具体的目標の設定を行う。その際、それを国際プロジェクトに参加するという形で行うのか、日本独自のプロジェクトで行うのかをきめるという問題があります。 いずれにしろ、具体的目標設定の段階に入ると、日本の国力では、アメリカのように全方位的に遠大九位な目標を設定するのはとても無理ということがわかってきます。そこでこれは独自技術を絶対に残すが、これは国際プロジェクト参加にとどめるといったふり分けをすることが国家戦略(国家的リソースの使用計画)の策定という意味では大事なところです。また本来的に国家戦略とはかかわりを持つことが少ないサイエンスの面においては、各サイエンティストが自己の責任と能力に応じて、全方位的に遠大な知的目標をかかげてあらゆる模索をしていくべきだということはいうまでもありません。 ―― これは国際プロジェクト参加にとどめ、これは独自技術を絶対に残すというのは、たとえばどんなものが考えられますか? 立花 たとえば、スペースステーションを日本で独自に作るのは絶対に無理ですが、衛星技術は21世紀があらゆる意味で衛星技術を不可欠とする方向に進んでいるだけに、もっと発展的な方向で、独自技術の開発(技術支援衛星プロジェクトのようなものは不可欠)を意欲的にすすめる必要があります。将来の技術的方向を考えたら、複数衛星をのせた大プラットフォーム化(通信、地表観測、天体観測)もあるだろうし、多数のミニ衛星という方向もあると思います。 宇宙往還機のほうはどうかというと、日本の国力から考えて、有人機の開発は捨てるべきだと思います。日本は貨物往還機の開発までにとどめ、有人往還は国際システムに頼るという方向をはっきりさせたほうがよい。近い将来、中国の有人機が飛ぶことが確実視されていますが、そんなことで浮き足立たないほうがいい。いまや、宇宙でどうしても有人でなければできないことはありません。有人技術は一見華やかに見えますが、実際には、シンボル効果のほうがはるかに強いのであって、コロンビア事故のあと、アメリカでも有人飛行はもうやめたらどうかという議論がかなり強く出ました。 チャレンジャー事故、コロンビア事故を経てわかったことは、宇宙技術の対人信頼性はまだ低いということです。絶対安全の領域(フォーナインの安全性)までいくのはまだとても無理ということです。有人技術には冒険性がともなわざるをえないということです。人命にあまりにセンシティブな日本の社会風土を考えると、日本が独自の有人技術に踏みだして、万が一の事故が起きたときに、日本の社会がそれに耐えられるか(チャレンジャー事故、コロンビア事故時のアメリカのように)といったら、とても無理でしょう。かといって、安全性をもっと向上させてやることが可能かといったら、現状スリーナインの安全性もない(ツーナイン・ハーフ程度か)のに、それをフォーナインまでもっていくのには、とてつもないコストがかかります。それだけコストをかけて有人を追究するメリットが何かあるかといったら、何もないというべきだろうと思います。軌道上の有人技術は国際プロジェクトの範囲内であくまで追求するが、独自の有人往還技術は捨ててよいと思います。 |
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