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スプートニク、ガガーリンなどと同様、レオーノフ氏も宇宙開発競争の勝利の象徴として、時の政権の政治的宣伝(プロパガンダ)に関わることになった。地上での冷戦のいっぽうで、宇宙では協調の芽が生まれはじめていた。 |
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![]() Q. 1975年の「アポロ-ソユーズ計画」は、現在のISS(国際宇宙ステーション)につながる最初の一歩ではなかったかと思うが、レオーノフさん自身はどう振り返られますか? ![]() しかしこの時期、賢明な考え方をする人たちも現れた。ソ連のコスイギン首相、アメリカのニクソン大統領、ソビエト科学アカデミーのケルビス氏、NASAのレイチェル長官らがそうだ。このような危機的状況のなかでも、何とかして世界に(対立とは違う)「他の道もあるということを示したい」と、その思いがこの計画を実現させたのだと思う。 若くて元気で十分な訓練を積んだ宇宙飛行士が、ソビエトから宇宙に、アメリカからも宇宙に飛び立った。そして宇宙でドッキングし、一緒に働いている姿を世界に示せたのだ。 ![]() ![]() 地上との連絡回線を保持し、生命維持装置をきちんと機能させ、宇宙船内のガス環境をコントロールするなど、お互いの密な連絡が必要な項目は膨大な数にのぼっていたからだ。 そして1975年7月18日、60億の人々が見守るなか、このプロジェクトは成功し、世界の人々に希望を与えることができた。もちろんこれを気に入らないという人もいたかもしれないが、私はここで真の“共同作業のモデル”を示すことができたと思っている。 |
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