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誰もが気軽に宇宙旅行できる将来を夢見て リチャード・ギャリオット (Richard Garriott) ゲーム開発会社 Portalarium 執行副社長 人気コンピュータゲームの開発者として知られるギャリオット氏は、2008年に史上6人目の民間人による宇宙旅行を体験しました。ソユーズ宇宙船に搭乗して国際宇宙ステーション(ISS)を訪れ、宇宙に約2週間滞在したのです。また、ギャリオット氏の父親、オーウェン・ギャリオット氏はNASAの宇宙飛行士として2度の宇宙飛行を行いました。そのためギャリオット親子は、アメリカ初の2世代宇宙飛行士としても話題となりました。また、ギャリオット氏は民間宇宙旅行会社に投資し、商業宇宙船の開発にも取り組んでいます。宇宙を体験した感想や、民間宇宙旅行の課題などについてお話をうかがいました。

リチャード・ギャリオット(Richard Garriott)
ゲーム開発会社 Portalarium 執行副社長、スペース・アドベンチャーズ社 副会長

1961年生まれ。高校生の時にコンピュータゲームを作ることを始め、1980年代初期に制作した「ウルティマ」シリーズで大きな成功をつかむ。このコンピュータゲームは、ロールプレイングゲームの元祖の1つである。その後、ゲームデザイナーとしてカリスマ的な存在となり、2006年にはAIAS(インタラクティブ芸術アカデミー)において、ゲーム開発者の殿堂入りを果たす。プライベートでは、冒険家として隕石を探して南極大陸を探査したり、ルワンダでマウンテン・ゴリラを追跡、大西洋海底の熱水噴出孔の調査などを行っている。そして2008年10月、ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーションへと飛び立ち、地球軌道を飛行した6番目の民間人となる。また、父のオーウェン・ギャリオットは、NASAの宇宙飛行士として2度の宇宙飛行を行った。これまでギャリオット氏は、Zero-G Corporationやスペース・アドベンチャーズ社など宇宙に関わる企業に数多く出資している。宇宙探検の促進に対する功績が認められ、2009年に英国にてアーサー・C・クラーク賞を受賞。

未知なる世界を探検したい

Q. ギャリオットさんの民間宇宙旅行の費用は3000万ドル(約25億円)と推定されていますが、巨額の旅費を支払ってまで宇宙へ行きたいと思ったのはなぜでしょうか?

宇宙船に乗り込むリチャード・ギャリオット(上から2人目)(提供:NASA)
宇宙船に乗り込むリチャード・ギャリオット(上から2人目)(提供:NASA)

私は、民間人による宇宙飛行を実現するために、1997年に民間宇宙旅行会社「スペース・アドベンチャーズ社」の立ち上げに参加しました。その会社へ投資したのは、子どもの頃からの夢であった宇宙へ行くという目標を達成するためです。スペース・アドベンチャーズ社が設立される前から、宇宙旅行の費用がかなり高額になることは知っていましたが、私に払える金額ならどんなに高くても良いので宇宙旅行に行きたいと思っていたのです。
宇宙へ行きたいと思ったのは、未知の世界を冒険したいと思ったからです。そう思うのは人間の本能であり、実際に冒険ができるということは、人類が持つ可能性の中で最も素晴らしいことの1つだと思います。私は、冒険する場所が宇宙であろうと、洞窟やテキサス(アメリカ)にある私の家の裏庭だろうと、アマゾンのジャングルの秘境、あるいはコンピュータのバーチャルリアリティの世界であろうと、すべてに対して同じように探検意欲が湧いてきます。

Q. 宇宙へ行くことに対する恐怖感はなかったのでしょうか?

統計的に見て、ロケットで宇宙へ行ったり、地球の大気圏へ再突入したりすることには、もちろんいくらかの危険が伴います。しかし、特にロシアのソユーズロケットの安全性に関しては、30年以上の実績があるので安心していました。飛行中は特に危険を感じることはありませんでした。

民間宇宙飛行士という意識で宇宙に挑む

Q. ギャリオットさんは「宇宙旅行者」と呼ばれることを快く思っておらず、「民間宇宙飛行士」と呼んで欲しいそうですね。それはなぜでしょうか?

ソユーズ宇宙船のシミュレータの前にて(提供:Richard Garriott)
ソユーズ宇宙船のシミュレータの前にて(提供:Richard Garriott)
黒海での水上サバイバル訓練(提供:Richard Garriott)
黒海での水上サバイバル訓練(提供:Richard Garriott)

いずれ将来は、乗客を乗せて海へ出るクルーズ客船のように、人々が気軽に宇宙へ旅行できるクルーズ宇宙船が登場すると思います。しかし今のところ、私自身を含め宇宙船に搭乗する全員が、宇宙船のすべての機器を使えるよう徹底した訓練を受けています。つまり宇宙船に乗る全員が、安全な飛行を行うための任務を負った宇宙飛行士なのです。例えば軍艦の乗組員は、司令官、機関兵、料理人問わずみな自分たちのことを「水兵」と呼びます。これと同じように、ソユーズ宇宙船に搭乗した誰もが「宇宙飛行士」と言われるべきだと思います。
私は、プロの宇宙飛行士たちが受けるのとまったく同じ内容のテストや資格に合格し、充分な訓練を受けたうえでソユーズ宇宙船に乗り込みました。そして飛行の際は、3人乗りのソユーズ宇宙船の3番目の座席で、かつてここに座った他の宇宙飛行士たちと同じような任務を遂行するよう求められました。実際に私は彼らと同じ目的を達成しましたし、同じ程度の宇宙実験などを行えたと思いますので、自分が宇宙飛行士であることを否定されると少し不愉快に感じますね。

Q. 飛行前にどのくらいの期間、どのような準備をしたのでしょうか?

私が搭乗したソユーズ宇宙船は2008年10月に打ち上げられましたが、その2年前に飛行に向けた準備が始まりました。まずは厳しい医療検査を受け、身体の隅々まで調べられました。そして私の場合、その医療検査で肝臓に先天性の血管腫が見つかり、それを除去する手術を受ける必要があったのです。宇宙船の飛行中に、万が一、減圧を伴う非常事態が起こると血管腫から出血する可能性があり、すぐに治療できない宇宙ではそれが命取りになることがありますからね。
ロシアのガガーリン宇宙飛行士訓練センターでの訓練が始まったのは2008年1月です。ソユーズ宇宙船の運用方法を習得するため、コンピュータや通信システム、生命維持装置などの操作訓練を行う他、打ち上げや大気圏再突入時のシミュレーション訓練なども行いました。また、ソユーズ宇宙船と同様に国際宇宙ステーション(ISS)の運用についても学び、ISSの機器の操作の他、火災や毒性ガス発生などの緊急事態を想定した訓練も行いました。さらに私が担当する宇宙実験についても学ばなければならず、ロシアではかなり集中的に訓練しましたね。それからもちろん、ロシア語の勉強も必要です。飛行から2年半近く経った今でも、自分の任務に関することや管制室とのコミュニケーションに必要なロシア語は覚えていますよ。
そして、訓練の最後に待っていたのは、2日間に渡って行われる口頭試験でした。これは私以外のクルーも受ける試験で、合格するとソユーズ宇宙船の搭乗やISS滞在を認めてもらえます。

Q. 準備はとても大変そうですが、いかがでしたか?

訓練はとても楽しかったです。科目数は多いですが、特にそれほど難しい内容だとは感じませんでした。なぜなら、私がこれまで経験してきたことを応用できたからです。例えば、生命維持装置の訓練で教わる酸素と二酸化炭素のバランスについては、スキューバダイビングのライセンスを持っている私にとっては馴染み深いものでした。同じく、私のようにアマチュア無線をやっている人であれば、ソユーズ宇宙船やISSの通信システムの操作はアマチュア無線と似ていると感じると思います。他にも、学生時代に物理が好きだった人にとっては、宇宙船の軌道力学についての勉強はニュートン物理学の基礎みたいなものです。宇宙飛行士の訓練はかなり徹底的にさまざまな科目をカバーしていますが、難しい科目はなかったですね。

アメリカ初、親子で宇宙を体験

Q. ギャリオットさんのお父様はNASA宇宙飛行士として2度の宇宙飛行を経験されています。このことは、ご自身に影響をもたらしていると思いますか?

地球に帰還したばかりのリチャード・ギャリオット(左)(提供:Richard Garriott)地球に帰還したばかりのリチャード・ギャリオット(左)(提供:Richard Garriott)
帰還直後に握手をするギャリオット親子(提供:Richard Garriott)
帰還直後に握手をするギャリオット親子(提供:Richard Garriott)

もちろん宇宙飛行士だった父の影響はあると思いますが、父が私に特別宇宙へ興味を持つよう仕向けたことはなかったです。でも、科学者でもある父は家でよく宇宙での科学実験について話をしてくれて、私はそれにとても興味を持ちました。自分の身近に宇宙の話をする人がいたことは、「誰でも宇宙に行くことができる」という私の考え方に強く影響していると思います。ただ、私には兄が2人と妹が1人いますが、宇宙に興味を抱いたのは私だけなんですよ。
今でも覚えていますが、私は6歳くらいの時、仕事から帰った父に「今日は月に行ってきたの?」とよく聞いていたものです。父はもちろん「今日は行かなかったよ」と答えましたが、私は宇宙へ行くことが「特別」だとは思っていなかったですね。大きくなったら自分も宇宙へ行くものだと確信していたのです。子どもの時から、自分は将来いつか宇宙飛行がしたくなってそれを実現する、ということが分かっていたように思います。
そして10代の時には民間人として宇宙飛行士になろうと決めました。それには理由があります。13歳頃に眼鏡をかけていた私は、NASAの医者から視力が弱いと宇宙飛行士になれないと言われたのです。現在はコンタクトレンズをすれば大丈夫ですが、私が子どもの頃にはまだコンタクトレンズが一般的ではありませんでした。そこで私は、いずれロケットの開発に携わって宇宙関連の会社を興し、民間人が宇宙へ行ける道を開こうと心に決めたのです。当時はまだ民間人が宇宙飛行士になれるという概念はありませんでしたが、私は13歳の時にそう決意しました。そして、それが本当に実現したのです。

Q. 実際に宇宙飛行をすることになってお父様から何かアドバイスはありましたか?

父が私にアドバイスをすることは少なかったですが、特に覚えているのは、何度目かのロシア渡航のために父が空港まで送ってくれた日のことです。父はこう言いました。「リチャード、もうすぐ宇宙に飛び立つけれど、1つだけ必ず覚えていて欲しいことがある。これまで多くの宇宙飛行士は、地球の軌道に到着して無重力になると、自分がその場所にいることに対してすごく気持ちが悪くなったり、憂鬱な気持ちになったり、悲しくなる時がある。もしそんな気持ちに襲われても、単に一時的なものだから心配しないように。程なく気持ちはずっと軽くなって、それが人生で最高の経験になるんだよ」と。父のこの言葉はとても素晴らしいアドバイスだったと思います。

  
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