もともと宇宙については何となく興味がありましたので、「はやぶさ」のことは存じておりました。ただ、新聞などを通じてなんとなく知っているという感じで、これだけいろいろなエピソード、ドラマがあるというのは勉強不足で知りませんでした。「はやぶさ」にはいろいろな危機があって、それを乗り越えているということはニュースで伝わっていましたので、「頑張れ!はやぶさ」「地球に戻ってきて!」という思いでいました。 Q. 2010年6月に「はやぶさ」が帰還した時にはどのような気持ちでニュースをご覧になっていましたか? 「はやぶさ」が帰還した時にいちばん気になったのは、小惑星イトカワの砂を持って帰ってきたかどうかです。「はやぶさ」はイトカワに金属弾を打ち込んで舞い上がった砂を採取するということでしたが、それはうまくいかなかったと報道されていましたので、「ちょっとでもいいからイトカワの砂がついていたらいいな」というのが、帰還した時に真っ先に思ったことです。 Q. 「はやぶさ」が日本社会に与えたことは何だと思われますか? やはり「希望」だと思います。「はやぶさ」のスタートラインは決して恵まれた状況ではありませんでした。例えば予算が少ないなど、日本で打ち上げることができる探査機にはいろいろな意味での制約がある。もっといえば、日本の宇宙開発自体が、アメリカやロシアと比べたら規模が小さい。そのような、ありとあらゆる劣勢をアイデアで乗り切っていったのが、「はやぶさ」プロジェクトのとても素晴らしいところだと思います。「絶対にあきらめない」という強い気持ちで前へ進んでいく姿は、みんなに感動を与えたと思うんです。
かつて日本は「Japan as Number One(日本が1番)」と言われた時代もありましたが、1980年代後半のバブル景気が崩壊した後は、希望を持てなくなったと言われていました。最近の日本社会もそのような色彩が非常に強いように思いますが、マイナスから出発したこのプロジェクトが与えた影響は、そういう日本人にとっての「希望」なのではないかと思います。私自身も、「はやぶさ」から「希望」というメッセージを受け取りました。
「はやぶさ」のことを知れば知るほど、ちょっと微笑ましいものや、非常に深刻・辛らつなものなど、ありとあらゆるエピソードが詰まっていて人間的だなと思いました。
例えば、映画でも描かれていることですが、イオンエンジン担当の國中均さんが電気回路にダイオードを1個追加して2台のエンジンを接続できるようにしていたこと、しかもそれをプロジェクトの皆に内緒でやっていたこと。あるいは、帰還カプセルの内部に、カプセルを製作した人たちの名前が書いてあったことなど、本当にいろいろなエピソードがあるんです。
「はやぶさ」には日本最高の頭脳が集結していると思いますが、そういう頭脳を持ったプロジェクトチームの人たちは、まるで学生時代の延長線上のように、楽しみながら取り組んでいるというのが意外でした。もちろん、いろいろな苦しいことや辛いこともあるでしょう。しかし、ちょっとした楽しみを自分たちの中につくりながら「はやぶさ」を運用していた。ということが、いろいろな資料を読んだり関係者に話を聞いたりすると端々に見えてくるんですね。それがすごく魅力的でした。
それはきっと、当時、JAXA対外協力室の室長を務めていた的川泰宣さんや、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャの川口淳一郎さんの人間的な魅力がそうさせているのではないかと思います。「はやぶさ」における組織のあり方、組織の中における人間のあり方が、ちょっとしたいたずら心も含め、今後の日本人のあり方なのではないか、日本の社会にとって必要な組織のつくり方なのではないかと強く感じましたので、その辺のニュアンスを映画に出したいと思っていました。
完全なコピーを目指したことです。何をコピーするのかというと、まず、誰も見たことがない宇宙空間での「はやぶさ」の姿や「イトカワ」のあり方、「はやぶさ」の運用管制室。運用管制室については、レイアウト、パソコンの中身、貼ってある物、置いてある物も含めた、探査機を運用する部屋のあり方。そして、そこで働く科学者の皆さん、スタッフの皆さんが着ている服や持っているペン、黒板に書いてあることも含めて、人間、ソフト的な面、すべてをコピーしたいと思いました。
実際の管制室はほかの探査機の運用に使われているため撮影用にセットを作りましたが、細かいところまでコピーしましたので、どう再現しているかをJAXAの皆さんにもぜひご覧いただきたいですね。 Q. 完全にコピーをしたいと思われたのはどうしてでしょうか? 登場人物のモデルとなった人たちを尊敬しているからです。「はやぶさ」に関わった方たちに最大限の敬意を払いたいと思いました。