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スペースシャトルと日本の有人宇宙活動の歩み 世界に誇れる日本の有人宇宙実験の技術 JAXA有人宇宙環境利用ミッション本部 宇宙環境利用センター 特任担当役 小山正人

宇宙環境の新しい利用へ向けて

有人宇宙実験にゼロから挑む

大成功を収めた日本初の宇宙実験

継続から生まれる成果がある

宇宙環境の新しい利用へ向けて

Q. これまで有人宇宙活動に関してどのような仕事をして来られましたか?

FMPTのライフサイエンス実験を行う毛利宇宙飛行士。小山さんはライフ系実験装置の開発・実験運用を担当(提供:JAXA/NASA)
FMPTのライフサイエンス実験を行う毛利宇宙飛行士。小山さんはライフ系実験装置の開発・実験運用を担当(提供:JAXA/NASA)
「ふわっと’92」のミッションマーク
「ふわっと’92」のミッションマーク

毛利衛宇宙飛行士による、1992年の第一次材料実験(FMPT)「ふわっと’92」と、それに続く、1994年の向井千秋宇宙飛行士による第2次国際微小重力実験室(IML-2)の実験装置の開発・実験運用を担当しました。現在は国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の利用に関する仕事に就き、主に教育や人文社会科学に関する実験を担当しています。

Q. 第一次材料実験はどのような経緯で行われることになったのでしょうか?

1970年代後半、アメリカでは1972年に終了したアポロ計画の後を受けて、スペースシャトルの開発が本格的に行われていました。また、ヨーロッパではアメリカに協力して、スペースシャトルに搭載する実験室、スペースラブが開発されるなど、スペースシャトルを積極的に使おうという世の中の気運がありました。
そんな中、日本もヨーロッパに遅れをとるまいと、今後の宇宙開発の進め方の指針となる「宇宙開発政策大網」を1978年に策定し、「スペースシャトルを利用して有人宇宙技術や宇宙実験の技術を獲得する」ということがうたわれました。それを受けて、スペースシャトルを利用した第一次材料実験(FMPT)計画がスタートしたのです。
その頃の日本の宇宙開発は、通信、放送、気象、地球観測衛星などの人工衛星をロケットで打ち上げることがメインで、アメリカのロケット技術を導入して開発したN-IやN-IIロケットから、自主技術を使ったH-IIロケットの開発へと移りつつある時代でした。そして、「有人宇宙活動」という宇宙環境の新しい利用へ向けて進むべきだという方向に向かっていたのです。

有人宇宙実験にゼロから挑む

Q. 第一次材料実験(FMPT)を行う以前に、日本では宇宙実験のノウハウや経験はあったのでしょうか?

スペースラブを搭載したスペースシャトル(提供:NASA)
スペースラブを搭載したスペースシャトル(提供:NASA)

FMPTの計画がスタートした1980年頃、NASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)ではロケットを使った宇宙実験を行っていました。ノウハウが全くなかったわけではないので、材料系の実験装置をかなり開発しました。小型ロケットを使った実験では、無重力環境になるのは6分程度と短いですが、基礎的な勉強はある程度できていたと思いますが、FMPTは有人宇宙飛行による実験ですので、小型ロケットでの実験とは大きく異なります。NASDAとしては、有人宇宙実験はほぼゼロからスタートしたという感じです。
一方、ヨーロッパが開発したスペースラブによる宇宙実験は1983年から実施されており、スペースシャトルでの実験がどういうものかは分かっていました。当時、スペースラブによる実験には日本の研究者も参加したことがありました。

Q. FMPTの実験内容はどのように決められたのでしょうか?

訓練用スペースラブ内で材料実験の訓練を行う毛利宇宙飛行士
訓練用スペースラブ内で材料実験の訓練を行う毛利宇宙飛行士

公募です。最初に実験テーマを公募したのが1979年で、103の応募があり、その中から34のテーマを選定しました。微小重力環境を利用して新材料を作るといった材料系の実験が22、鯉の宇宙酔いを調べるといったライフサイエンス系の実験が12です。103も応募があったというのは、当時世の中の気運として、宇宙実験というものが盛り上がってきていたのだと思います。
当時「宇宙実験」といえば材料実験が主流で、これからは宇宙工場ができるとよく言われたものです。そういう意味で「第一次材料実験」とこのミッションの名前にも「材料」という言葉が入っていたわけです。しかし、実際にスペースシャトルでの宇宙実験が始まると、宇宙との往復に費用がかかることから、宇宙で物を作る工場を目指すよりも、宇宙環境を利用したライフサイエンス系の実験もしたほうがいいという流れになっていきました。

Q. FMPTを実施するにあたって、どのような苦労がありましたか?

実験中の毛利宇宙飛行士(提供:JAXA/NASA)
実験中の毛利宇宙飛行士(提供:JAXA/NASA)

当時私はライフサイエンス系の実験装置の全体の取りまとめを担当していましたが、とにかく大変でした。それしか言いようがないですね。苦労した原因の1つは、関係者が大勢いたことです。
ロケットや人工衛星の開発ではメーカー1社が行うことが多いのですが、FMPTの場合は、実験装置の開発をする企業のほか運用する企業も含めいろいろな方が関わっていました。また私たちは研究者ではないため科学の詳細な内容は分からないのですが、実験をする研究者をはじめ装置の開発者など多くの人が関わる中、NASAとの調整も必要で、取りまとめに苦労しました。
そして、日本初の宇宙実験なので、いろんな研究者に参加してもらおうとたくさんの実験を詰め込みましたが、それら全体をコントロールして進めるのは大変でした。いろいろな実験装置を実験ラックにギリギリいっぱい詰め込みましたので、NASAから「もう少し余裕を持たせるように」と言われたほどです。
また、FMPTは有人で行う実験なので、宇宙飛行士の安全が第一です。NASAの安全基準はとても厳しく、それをクリアするのも一苦労でした。NASAの安全設計に関する規則書は記述が具体的ではなく、内容を理解するためにNASAともずいぶん議論をしましたね。しかも、1986年のチャレンジャー事故の後、安全設計の考え方はさらに厳しくなり、一度審査にパスしたものが落とされるなど大変な思いをしました。

  
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