やはり、まず思い出すのは1986年に事故を起こしたチャレンジャー号(STS-51-Lミッション)です。当時は、FMPTの実験装置の開発を進めていましたので、シャトルの打ち上げの見通しが立たなくなって、FMPTはどうなってしまうのだろうと心配になりました。でも私たちは途中で開発を止めないで、とにかくきちんと作ってしまおうということでやっていました。
その後、シャトルの飛行が再開され、FMPTの打ち上げも1991年に決まりましたが、シャトルのエンジンの水素漏れで打ち上げがさらに1年遅れて、実際に毛利宇宙飛行士が宇宙へ飛び立ったのは1992年9月のことでした。当初の計画から4年8ヵ月も遅れたことになります。ただし、計画の初期の段階では1984年度の打ち上げを想定しており、これからみると8年程度の遅れになりますが、結果としてはその間に実験装置をしっかり仕上げることができ、宇宙飛行士の訓練も十分に行うことができました。
「きぼう」船内実験室で作業中の野口宇宙飛行士
まずは、日本人が宇宙へ行って活躍したことによって、宇宙が身近になったこと。日本人の宇宙開発に対する理解が高まったことです。そして、有人宇宙技術を獲得できたことが非常に大きいと思います。たとえば、宇宙飛行士の選抜や訓練の方法、宇宙に滞在する宇宙飛行士の活動支援や健康管理、宇宙実験装置の開発や運用方法など、有人宇宙活動に関わるすべての技術です。
これまで「きぼう」は大きなトラブルがなく静かで快適な環境であることからも技術的に高く評価されていますが、これらの技術はシャトルミッションによって構築されたものだと思っています。また、日本の技術が世界的に評価されるということは、宇宙開発の分野に限らず、今の日本の国際的な位置づけにも役立っていると思います。
実験装置が組み込まれた「きぼう」のラック(提供:JAXA/NASA)
実験や研究というのは1度ですぐに大きな成果が出るというものではなく、継続して行ううちにそれがベースとなって成果が出てくるものだと思います。そういう意味で、シャトルでの実験は「きぼう」へとつながっています。例えば、FMPTで行われた高品質の半導体結晶の成長実験は、現在「きぼう」で行われているマランゴニ対流実験へと引き継がれています。また、IML-2で行われたメダカを用いた生殖・繁殖の実験は、遺伝子レベルでの病因解明を目指す「きぼう」でのメダカの実験へと引き継がれる予定です。このように、現在の日本の宇宙実験の基礎となっているのが、シャトルでの実験の成果だと思います。
日本の宇宙ステーション補給機「こうのとり」は、ISSとドッキングする出入り口の直径が、ヨーロッパの宇宙ステーション補給機ATVよりも大きく、大型の実験装置を運搬できるのが特徴です。スペースシャトルが引退した今、「こうのとり」でなければ運べないものもありますので、今後の活躍が期待されています。シャトルが引退し、ISSで実験したサンプルを地上に持ち帰る機会がほとんどなくなってしまいました。そのため現在「こうのとり」を地上で回収するための開発が進められていますが、その技術を獲得できれば、将来の有人宇宙船の開発にもつながるのではと思っています。
やはり個人的には、日本独自の有人宇宙船を実現してほしいですね。将来的に、人類の活動領域は宇宙へと広がっていくと思いますので、その時代が来た時に日本が世界をリードしてほしいと思います。今は不況の時代だからこそ大きな目標や夢を掲げて、それに向かってみんなが一丸となって行動をすることができたらいいと思っています。
JAXA有人宇宙環境利用ミッション本部 宇宙環境利用センター 特任担当役
1974年、宇宙開発事業団(現JAXA)に入社し、ロケット設計グループにて飛行解析を担当。1984年、宇宙実験グループ、宇宙環境利用研究センターにてFMPT、IML-2等のスペースシャトル利用ミッションに従事するほか、「きぼう」実験装置の開発を担当。2002年、ワシントン駐在員事務所。2005年、宇宙環境利用センターにて「きぼう」の利用を担当。その後、情報システム部を歴て2010年より宇宙環境利用センターに着任し現在に至る。