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  荻窪のペンシル  
暗中模索

──その当時ロケットの事は全然知りませんでした。ジェットエンジンは卒業設計のおかげで構造的には分かりましたけど、ロケットのことを糸川先生が会社に来て色々と話をされた時にはよく分かりませんでした。女性が首にかけていた物を「ロケット」と言っていたので、それの事かと私は思いました。ロケットは飛翔体の事だと気付いたのが、糸川先生が来てから2日目のことです。それまでは何で私が女性の飾り物をやらされるのかと思っていました。ロケットが大体どんな材料でどんな構造をしているかすら分からないのです。なぜ飛ぶかという事も分かりません。分からないので一から勉強です。──(垣見)

──ペンシルロケットは東大の先生方のソフトウェアが入っていて、先はコンパスで中心線からタンジェントという曲線を描くのは糸川英夫先生のアイディアです。尾翼はいろいろな形がありますが、これはクリプトデルタといって玉木章夫先生のアイディアです。

 内部の圧力や推進力がどのくらいあるか測らなくてはなりません。それについてはいつ爆発するかわかりませんから、荻窪の工場の中にテストスタンドを作るのですが、最初はどうやっていいか分からないので、穴を掘って人間が入るくらいの地下にベトンで実験用の燃焼室を作りました。──(戸田)

──ちょうどその頃にペンシルの推進薬よりもっと大きい65mmと110mmの物があることが分かってきました。それは武豊の日本油脂にありました。だから、ペンシルと平行してベビーロケットの開発も始めました。そのテストも荻窪工場のテストスタンドで始めました。初めの頃は意外に推進力が強く、そのために振動が起きて隣の工場にある旋盤が揺れてしまいました。それで削っている物が駄目になってしまうから、荻窪でそんなことをやってはいけない、出て行ってくれと言われました。──(戸田)

3つのペンシル
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