──ペンシルの設計は、私がやりました。というのは、こんな金にならない事に会社が人材をくれないのです。だから、私1人だけでした。設計の基本である熱計算も全部自分でやりました。しかも、その時の計算はタイガー計算機で手回しです。これは肉体労働で、今のような電卓ではないので、掛け算の場合、2×5の時は、2を5回まわすので、大変な作業なのです。──(垣見)
──戦争に負けて、中島飛行機には航空機用の材料がそのまま残っていました。材料倉庫に行くと、ジュラルミンや鉄材料などいろいろあり、特にジュラルミンが沢山ありました。その中に直径30mmぐらいのジュラルミンの丸棒がありました。その名称を見ると「チ−201」となっていました。「チ」というのはあの頃の規格で、中島の戦争中の規格でジュラルミンの事を「チ」と言っていたのです。「チ−201という材料があって、これはロケットの材料に使えそうだ」、と糸川先生に話をしたら「ジュラルミンなんてロケットの燃焼熱で溶けちゃうよ」と言われました。しかし熱伝達を計算すると、どうもそれほどの温度にはなりません。──(垣見)
燃料は先述のとおり戸田が日本油脂の村田から譲り受けていた。朝鮮戦争の時に使われたバズーカ砲の燃料である。バズーカ砲は速く燃えないと困るので、そういうマカロニのような燃料を沢山入れて砲弾にするわけである。糸川の即断で、それを燃料にしようという話になった。
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