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Q.3 X線天文学の先駆者のひとりとして、また友人としての小田稔博士との思い出をお聞かせください。

 小田博士とは1962年にマサチューセッツ工科大学(MIT)でお会いしました。彼は、1967年に私たちが行った初期のロケット観測プロジェクトに参加したほか、1970年に打ち上げたX線衛星「ウフル」から送られてきたデータ解析も一緒に行いました。それにより、ブラックホールと連星のX線源の存在が初めて明らかになったのです。
 小田博士とは生涯を通じて親交を深めてきました。お子さんと一緒に、ケープコッドにある私の自宅を訪ねてくれたり、また私が博士のご自宅を訪ねたりして、楽しい時間をすごしました。この分野に尽力されてきた小田博士と、X線天文学が皆に認知された喜びを一緒に分かち合うことができればよかったと思います。
 小田博士は、ISAS(旧文部省宇宙科学研究所、現JAXA宇宙科学研究本部)の創設メンバーでした。ISASは世界中の科学者が一目置く研究機関ですが、博士が最初に所長となられ、その後田中靖郎教授(現マックス・プランク宇宙物理学研究所客員教授)が副所長に就任されました。ISASはX線天文学の国際的な研究の一端を担い、すぐれた実績を上げて天文学全般に貢献してきたのです。
ハッブル宇宙望遠鏡写真
ヨーロッパ南天天文台(ESO)写真
「ALMA」イラスト
研究者としての業績ばかりでなく、ジャコーニ博士は大組織・新プロジェクトのマネジメント能力でも傑出した存在である。ハッブル宇宙望遠鏡(写真上)を運用するNASA宇宙望遠鏡科学研究所所長やEUの共同研究機関で4台の8m級反射望遠鏡「VLT」(写真中)を擁するヨーロッパ南天天文台(ESO)台長などを歴任。現在はAUI(全米大学連合)プレジデントとして、日本の国立天文台もコンセプトの段階から深くかかわる「ALMA」(写真下)を支援する



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