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宇宙実験で広がる未来への可能性〜「きぼう」日本実験棟での実験の成果〜 重力に隠された物質の謎に迫る JAXA宇宙科学研究所(ISAS)宇宙環境利用科学研究系 教授 ISAS物質科学実験研究者
石川毅彦

地上ではできない新素材の創製

Q. 物質科学実験とはどのようなことを目的とした実験なのでしょうか?

材料科学実験の装置が組み込まれる「きぼう」の流体実験ラック
材料科学実験の装置が組み込まれる「きぼう」の流体実験ラック

物質科学実験は、物質がどのようにしてできるのかを解明する実験です。物質を構成する基本的な粒子が原子であり、その原子が規則正しく並んでいるのが結晶です。結晶の形成には、溶液の温度や濃度が密接に関係しますので、重力のある地上では、高い品質の結晶ができません。なぜなら、熱いものは上へ、冷たいものは下へ移動する「対流」や重いものが沈む「沈降」、軽いものが浮かぶ「浮力」があって、結晶の周りの温度や濃度が乱れるからです。そこで、微小重力の宇宙環境で、結晶が溶液からどのように成長していくのかを観測し、温度や濃度の分布が、結晶生成にどう影響しているかを調べます。そして、高品質の結晶を作る条件を理解すれば、実際の材料製造プロセスの改善や、新しい素材の開発につながります。
また液体には、表面積をできるだけ小さくしようとする表面張力があります。この表面張力は、温度や濃度によって異なりますが、一般的には、高温のところでは小さく、低温のところでは大きくなります。その違いによって生じる対流が、マランゴニ対流です。「きぼう」での実験では、このマランゴニ対流が結晶の形成にどう影響を与えるかを調べます。例えば、コンピュータや携帯電話などに欠かせない半導体は、シリコーンなどの原料を一旦高温で溶かし、それを冷却して再結晶させて作ります。その際、マランゴニ対流がおきると結晶がゆがみ、品質が落ちてしまいます。そのため、マランゴニ対流の影響を調べて、それを取り除けば、より高品質の半導体結晶を製造できるというわけです。ところが、マランゴニ対流は、地上では重力の影響でおきる対流の方が大きいため、その陰に隠れてなかなか見えません。そこで、微小重力の宇宙環境を利用して、マランゴニ対流の影響を詳しく観測します。物質が形成されるときの「流れ」をきちんと見ることは、とても重要です。

「きぼう」があるからこそできる実験

Q. これまでにどのような物質科学実験が「きぼう」で行われているのでしょうか?

液体は地上ではディスクの間から流れ出るが、宇宙では筒状の柱になる
液体は地上ではディスクの間から流れ出るが、宇宙では筒状の柱になる

マランゴニ対流実験にて形成した最大級の液柱(提供:JAXA/諏訪東京理科大学)
マランゴニ対流実験にて形成した最大級の液柱(提供:JAXA/諏訪東京理科大学)

ファセット実験における結晶成長
ファセット実験における結晶成長

氷結晶成長実験における氷の結晶成長(提供:JAXA/北海道大学)
氷結晶成長実験における氷の結晶成長(提供:JAXA/北海道大学)

これまでに「きぼう」で行われた実験は、マランゴニ対流、ファセット(結晶の平らな面)の成長、氷結晶の成長のメカニズムを観察する3つの実験です。まだ解析中のため成果を詳しくお話することができませんが、それぞれの実験についてご説明しましょう。
まず、マランゴニ対流の実験は、シリコーンオイルという液体を2枚のディスクではさみ、円柱をつくって実験を行います。地上の場合、ディスクの間隔を広げていくと、オイルはディスクの間から流れ出てしまいますが、微小重力の宇宙では、液体が筒状の柱になります。「きぼう」の実験では、直径30mm×長さ60mmの液柱ができましたが、これは世界最大級の大きさです。その液柱の片側のディスクに熱を加えると温度差が生まれ、表面張力にも違いが生じますので、マランゴニ対流がおきます。そこで、液柱の表面や内部の流れの様子、温度の分布などを詳細に観測します。液柱のディスクに加える熱の温度を変えるなど、いろいろと条件を変えてさまざまなデータを取得します。この実験は2008年8月から継続しており、現在、横浜国立大学の西野耕一先生たちが中心となって行っています。
またファセットの実験は、平らな面を持つ結晶が、まるで細胞が分裂するかのように小さく分かれて成長する様子を研究します。ファセットは、太陽電池パネルで用いられる多結晶シリコーンなどの材料に見られます。しかし、結晶に新しいファセット面ができる際、結晶に欠陥が入ったり不純物がたまりやすいのが問題です。しかし、どのようなきかっけで新しいファセット面ができるのか、なぜその時に結晶の質が落ちるのかという、その仕組みはまだ分かっていません。2009年に計40回の結晶成長実験を行い、地上では見たことのない、大変きれいな結晶が観察されました。ファセット面に山ができて、ノコギリの歯のようにギザギザと規則正しく、平らに成長していく様子を見たときには感動しました。今年の9月には、さらに高精度のデータを取得するために再実験が行われる予定です。
そして、北海道大学の古川義純先生によって行われたのが、氷の結晶の実験です。氷の結晶は、木の枝のような形をしていて、これを樹枝状結晶と呼びます。氷の樹枝状結晶は六角形をしていますが、最初は円盤状の形をしています。それが6本に枝分かれして成長していきますが、どのようなきっかけで6本に分かれるのか、その仕組みはまだ分かっていません。そこで、対流のない宇宙で氷の結晶をつくり、その成長を観察します。例えば、金属の結晶にも樹枝状のものがありますので、氷の結晶を理解することは、他の物質の結晶を理解することにつながります。2008年12月から約3ヵ月の間に130回以上もの実験を行い、対称性を持つとてもきれいな氷の結晶を観察することができました。地上では重力の影響で枝ごとに成長するスピードが違ったり、枝ぶりが違ったりしますが、宇宙でできた氷の結晶の6本の枝はとても均質で、同じようなスピードで成長していったのです。 Q. これまでの「きぼう」での実験を通して、どのようなことを感じられましたか? 「きぼう」での実験は、数週間のスペースシャトルを使った実験とは違って、1つの実験に時間をかけられるのがとても良い点です。時間に余裕があれば、何度でも繰り返して実験を行うことができ、より正しいデータを得ることができます。例えばマランゴニ対流実験は、これまで地上でも落下塔や航空機を使って、無重力を模擬した実験を行ってきました。ところが、数十秒〜数分の継続時間ではとても短く、対流が発生して落ち着くまで待つことができません。これでは正確な実験データとはいえないのです。時間があれば、慌てて実験をしなくても、週に1回実験をしてデータを解析し、そのデータが本当に正しいかどうか再現性を確認し、次の実験について考えることもできます。実験をすることによって、次の実験のアイデアが浮かぶのです。これは、「きぼう」を使った宇宙での実験が、地上で行う実験と同じような手法、頻度で実験できる段階まできていることを表しています。
また、地上で「これは重力による対流があるからだろう」と理由づけされていたことが、実際に宇宙で実験することで、「確かに流れのせいである」と証明できたのは大きな成果だと思います。一般的に研究はまず正確に観察するところから始まりますので、流れのない世界でどのように結晶ができるのかを、自分の目で確認できたことは非常によかったと思います。これからいろいろな実験を行えば、これまで重力のせいにしていたことが違っていたというケースが出てくるかもしれません。そうなると、結晶成長の仕組みの中に根源的な「何か」があるわけで、その「何か」を明らかにすることが次の研究課題となるわけです。このように私たちの探究心は永遠に続いていくのだと思います。

Q. 日本人が宇宙長期滞在して実験を行うようになったことについてどう思われますか?

マランゴニ対流実験装置の修理を行う野口宇宙飛行士(提供:NASA)
マランゴニ対流実験装置の修理を行う野口宇宙飛行士(提供:NASA)

物質科学実験の場合、質の高い微小重力の環境が必要で、シーンと静まり返った状態が最も理想的です。「きぼう」の流体実験ラックの中に、実験装置が密閉された状態で入っていたとしても、宇宙飛行士が国際宇宙ステーション(ISS)の中で動く振動が、影響を与えてしまうのです。ですから、宇宙飛行士の方たちには、実験装置にサンプルを入れてもらうのをお願いし、宇宙飛行士が就寝した後に、地上からの遠隔操作で実験を行っています。
ところが、実験装置が故障したときには、宇宙飛行士しか修理できません。実は、昨年の11月にマランゴニ対流の実験を行う装置に液漏れが起き、実験が続けられなくなってしまいました。そこで、その時、ISSに長期滞在していた野口宇宙飛行士に修理を依頼しました。この装置の故障は予期しておらず、野口宇宙飛行士は出発前に地上で修理の訓練をしたことがありません。修理はとても細かい作業でしたが、野口宇宙飛行士は地上から送った手順通りに、見事に修理を成功させました。あの時ばかりは、日本人宇宙飛行士が宇宙にいてくれて心強かったです。

  
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