ご覧いただいているページに掲載されている情報は、過去のものであり、最新のものとは異なる場合があります。
掲載年についてはインタビュー 一覧特集 一覧にてご確認いただけます。


「はやぶさ」が目を覚ましたくれた

Q. 危機回避のときに、もしこの方法が駄目だったら後がないという恐怖心はありませんでしたか?

小惑星イトカワ。画面中央に見えるのは「はやぶさ」の影
小惑星イトカワ。画面中央に見えるのは「はやぶさ」の影

いつも恐怖心はあります。しかし、どんなことが起きても、とにかく頑張るしかないという感じでしたね。なぜならチャンスは非常に少ないからです。このチャンスは自分で作ったものなんですよね。もしも私が、「はやぶさ」にイオンエンジンを搭載してみないかと言われたときに、「できない」と答えていたら、ハラハラ、ドキドキすることもなく、すごく平穏な人生だったと思います。しかし、それでは大きな飛躍は巡ってきませんでした。
マイクロ波放電式イオンエンジンを惑星探査機に搭載したのは世界で初めてでしたので、事例がなく何かと大変です。探査機にイオンエンジンを載せる前に、地上で約2万時間の連続運転の試験を2回行いました。実験室に泊まり込むことも多く、だいぶ身体に悪い生活をしていたと思います。その実験を終えた後も、納期までに予定の性能のものを提供できるかどうかで、たくさんの危機がありました。また、「はやぶさ」の打ち上げ後も、先ほどお話したようなトラブルはありました。その都度、恐怖心との闘いでしたが、今改めて思うと、とても面白い経験だったと思います。
例えば、勉強にしても、もし与えられた問題が解けないほど難しかったら、あまり面白くありません。独自に何とか解けそうな範囲の問題で、解けなさそうなものが努力してようやく解けた時というのは、楽しいですよね。それと同じで、「はやぶさ」のミッションで、与えられた試練(故障)は難しかったけれど、みんなで頑張ったら何とか解決できた、というところが面白かったのだと思います。
また、「はやぶさ」はかなり挑戦的なミッションでしたので、海外だけでなく、国内でも、イトカワに着くはずがないと言われていました。ましてや、地球に帰ってくるとは誰にも思われていませんでした。そのような否定的な意見を何とか跳ね返してやろうという気持ちが、とても大きかったですね。これは私だけでなく、プロジェクトチームの皆が同じ気持ちだったと思います。これまでかなり苦しい時期もありましたが、結果として、「はやぶさ」のミッションは、私にとって楽しい仕事でした。このようなチャンスを与えられ、かつ答えられて、本当にラッキーだったと思います。

Q. 「はやぶさ」プロジェクトを振り返って、特に印象に残っていることは何でしょうか?

カプセル発見の報せに握手を交わす國中教授と豪軍側の運用責任者カプセル発見の報せに握手を交わす國中教授と豪軍側の運用責任者

いろいろありましたので、どれか1つと言われても困りますが、2009年11月に、全エンジン停止の危機を乗り越えた頃のことは、特に印象に残っています。
2007年に「はやぶさ」が地球に向けて出発をすると、私は、「はやぶさ」帰還のためのいろいろな調整を任されました。他の国の砂漠にカプセルを落下させるということは、国家の安全保障にも関わるような話なので、オーストラリア政府との交渉が必要です。また、回収したカプセルを日本に持ち帰るための輸出入の手続きも必要ですが、このような作業は私がやってきた宇宙技術の分野とは全く違い、初めてのことばかりで勉強の連続でした。
実は、昨年の11月頃は、オーストラリア政府との交渉があまり進んでおらず、回収の準備がほとんどできていない状態で、このままだとミッションがうまくいかないかもしれないという不安を抱えていました。今だから言えますが、もしもオーストラリア政府との協議がうまくいかなかった場合、落下したカプセルを自分のトランクに入れて持って帰ってきてしまおうかと思うほど追い込まれていました。そのような窮地に立たされていた時にエンジンが壊れてしまい、もう帰還は絶望だと周りに言われ、とても辛かったです。
しかし、「はやぶさ」のエンジンが復活して帰還に向けて動き始めたら、急に道が開きました。皆がやっと、「はやぶさ」が地球に戻ってくることを本気で信じてくれるようになり、オーストラリア政府との話し合いも、そこからうまく進み始めたのです。周りが「はやぶさ」の帰還に向けて一気に動き出し、「はやぶさ」が世界中の目を覚ましてくれたという感じがしました。

イオンエンジンの技術を育てたい

Q. 海外からの、「はやぶさ」の帰還についての反応はいかがでしたか?

AIAA技術賞盾
AIAA技術賞盾

先日NASAの「小惑星有人探査ワークショップ」に招待され、「はやぶさ」の報告をしましたが、とても評価が高くびっくりしました。今年の春にアメリカのオバマ大統領が、2025年までに有人小惑星探査をめざすと提案しました。「はやぶさ」は有人ではなくロボット探査ではありましたが、小惑星への着陸と、惑星間の往復を達成しました。そういう意味で、アメリカからの「はやぶさ」への関心は大きいと思います。
また、米国航空宇宙学会(AIAA)は、「はやぶさ」のイオンエンジンチームに、AIAA技術賞を授与してくれました。これは、電気推進を使って宇宙往復ミッションを達成した功績を評価していただいたものです。電気推進というと、これまでは、地球をまわる静止衛星の軌道制御に使われることが多く、惑星往復に応用したのは私たちが最初です。自分たちがやってきたイオンエンジンが新しい道を築いたことを評価され、この受賞は正直にうれしかったです。このように、「はやぶさ」の帰還は海外からも高く評価され、無人の宇宙探査の分野では、欧米を主導する立場として、日本が認められたようにも思います。

Q. 「はやぶさ」で得たイオンエンジンの技術を今後どのように発展させていきたいですか?

燃焼試験中のイオンエンジン燃焼試験中のイオンエンジン

「はやぶさ」で確立した「マイクロ波放電式イオンエンジン」を生き残らせるために、「産業化」していきたいと思っています。「はやぶさ」のような宇宙ミッションは、10年に1度くらいの打ち上げ機会しかありません。それでは、その探査機に載せた技術を維持することはできず、10年ごとに技術を開発し直すということになります。技術というのは、どんどん使って回していくから大きくなるのであって、10年に1度しか使わない技術では発展できないと思います。拡大再生産を行うためには、その技術を載せる「船」がもっと必要なのです。そこで、産業化をめざして、海外に船を求めたいと思っています。現在、海外の静止衛星にイオンエンジンを搭載、または、技術を提供するという話が進んでいます。
「技術」というのは、開発者にとって子供のようなものです。技術は自分では能動的に動けませんから、親が育てないと成長しません。「マイクロ波放電式イオンエンジン」の親は私ですから、この技術を伸ばすために、一生懸命やりたいと思っています。産業化すると商売の話になりますので、メーカーが中心となって進めていただき、私はサイドプレイヤーとして、技術的な支援をしていきたいと思います。

新しいことにチャレンジすることが大切

Q. 「はやぶさ」を通じて得たことを、今後の宇宙ミッションにどう活かしていきたいですか?

小惑星探査機「はやぶさ2」(提供:池下章裕)小惑星探査機「はやぶさ2」(提供:池下章裕)

「はやぶさ」はとてもチャレンジングなミッションで、危機的な状況もたくさんありましたが、技術者や運用担当者たちは最後まで諦めずにやり通しました。みんなの心が折れなかったのは何故だろう?と考えたときに、やはり、面白かったからだと思います。「面白い」というのは、新しい世界を切り拓くことだと思いますので、「はやぶさ」のように、見たことのない小惑星にたどり着いて、誰もがやったことのない方法で地球に帰ってくるのは、面白いに決まっているでしょう。これから先、面白いと思えるようなミッションをどう作っていくかが重要だと思います。また、国民の方たちにも、面白いと思ってもらえるようにしていきたいと思います。ただ、「はやぶさ」のようなドラマチックな場面は少ないほうがよいですね。研究者の立場では、すべて予定通りに順調に進むミッションの方が望ましいと思います。

Q. 先生の目標は何でしょうか?

イオンエンジンなど電気推進エンジンを搭載する探査機や人工衛星の数を増やしていきたいと思います。まずは、「はやぶさ」のイオンエンジンの産業化です。この技術を何とか残して育てていきたいものです。2番目は、深宇宙動力航行です。これは、「はやぶさ」によって達成しましたが、推力アップなどさらに高性能化をめざしています。そして将来的に、木星まで到達するミッションに電気推進機を使いたいと思います。木星をスウィングバイできれば太陽系のいたる所に到達できるので、私たちにとって木星は、15世紀の大航海時代の喜望峰に匹敵しています。ですから、木星の航路開拓をぜひやりたいと思います。
3番目は、宇宙の大量物資輸送への糸口をつかみたいと考えています。例えば、月有人ミッションや火星有人ミッションを行う場合、人間が行く前に、食料や水、燃料などを運んでおかなければなりません。人間は速やかに行って、速やかに帰ってきた方がよいと思いますが、物資の場合は電気推進機を使って、遅くても燃費のよい方法で輸送した方がよいです。しかし、私の年齢ではこの3番目の目標に到達できないかもしれませんので、若い人たちを育てて、そのようなことに貢献できるよう勉強させたいと思っています。今の学生たちには、ぜひ新しいことに挑戦してほしいですね。

國中均(くになかひとし)

JAXA宇宙科学研究所 宇宙輸送工学研究系 教授。工学博士
月・惑星探査プログラムグループ 探査機システム研究開発グループ・リーダー
1988年、東京大学大学院工学系研究科航空工学専攻博士課程修了。同年、旧文部省宇宙科学研究所(現JAXA)に着任し、2005年に教授となる。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授を併任。専門は、電気推進、プラズマ工学で、小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンの開発をてがける。

Back
1   2
  

コーナートップに戻る