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「みちびき」が可能にする新たな測位サービスの創出 農機のロボット化で日本の農業問題を解決したい 北海道大学 大学院農学研究院 教授 野口伸

測位衛星を利用した農機の自動走行

Q. 準天頂衛星初号機「みちびき」を使ってどのような研究を行っていますか?

ロボット化した農機(提供:北海道大学)
ロボット化した農機(提供:北海道大学)
GPS受信の障害となる環境での試験風景(提供:北海道大学)
GPS受信の障害となる環境での試験風景(提供:北海道大学)

 「みちびき」の測位信号を利用して、農業機械をロボット化する研究を行っています。農機が自分の位置を正確に知ることで、自動走行できるだけでなく、自分がすべき作業を認識して遂行することも可能になります。例えば、あらかじめ走らせたいコースをトラクターの制御コンピュータに記憶させておけば、コースから外れたら自動修正しますし、場所ごとに適切な量の肥料や農薬を散布することもできます。ロボット化した農機を精度良く動かすためには、安定性の高い測位システムが非常に重要です。

Q. 「みちびき」の実証実験のこれまでの成果を教えてください。

 2011年から「みちびき」を使った2つの取り組みを行っています。一つ目は、アメリカのGPS衛星を補完する実験で、「みちびき」が GPSの代わりとして機能するかどうかを試験しました。これまでは、GPS衛星の位置によって、建物や防風林に遮られて測位信号を受信できない時間帯がありました。でも、生き物相手の農業では、そのタイミングが重要なので、測位信号が受信できずに農機が動かないようでは困ります。「みちびき」が加わることで、GPSのみを使っていた時よりも、測位できる時間を増やすことができ、より安定した位置情報を取得できることを確認しました。

 二つ目は、GPSを補正する「みちびき」独自の実験用信号(LEX信号)を用いた実験です。LEX信号を使うと、トラクターの位置を精度数センチ単位で知ることができるため、より安全にトラクターを自動走行させることができます。これまでLEXのような補正信号は地上局から送信され、携帯電話を使って取得していましたが、農村部では電波状況が悪く、信号を受信できないエリアがありました。「みちびき」は遮蔽物がない宇宙から信号を送りますので、そのような心配はなく、測位可能なエリアを広げることができます。実証実験では、これまでの方式よりも、高精度な測位ができたことを確認することができました。

いつでも使える安定した位置情報

Q. GPSを補完する受信機と補強する受信機は別々なのですか?

 はい。でも現在、JAXAが補完と補強の両方の機能を持つ受信機を開発していて、今度そちらを使って実験を行う予定です。ただこれは、精度が30cmぐらいと聞いていますので、農業の現場で使うにはまだ改良が必要かもしれません。その一方で、JAXAは、精度が10cm以下になる「MADOCA(Multi-GNSS Advanced Demonstration tool for Orbit and Clock Analysis)」という次世代測位システムも研究開発しています。これならば、ほとんどの農作業に使える可能性があります。農作業で最も精度が要求されるのは、田植えや種をまく作業で、これには5cmほどの精度が必要なのです。他のセンサと組み合わせることで、「MADOCA」の精度をさらに向上させたシステムを使った種まき作業の実験もぜひ行いたいと思います。

 日本に「みちびき」がある良さは、測位精度の向上はもちろんですが、このようにJAXAと一緒に実験させていただくことで、私たちの要望が反映される可能性があるということです。これは私たち研究者にとって最大の魅力です。

Q. 準天頂衛星の実用化における課題は何でしょうか?

準天頂衛星初号機「みちびき」。1機の準天頂衛星が日本の天頂に位置するのは1日約8時間である。
準天頂衛星初号機「みちびき」。1機の準天頂衛星が日本の天頂に位置するのは1日約8時間である。

 できるだけ早く4機体制になって、測位システムを24時間稼働できるようにすることです。今はまだ衛星が1機しかないため8時間しか使えませんが、それが理由で測位精度が上がらないとしたら、結局は測位が安定していないことになります。農業には作業適期というのがあり、例えば、「この時期に種をまかないとならない」と言われているタイミングがあって、それを逃すと生育不良になります。そういう理由から、農業は昼夜かまわず24時間体制で作業しますので、時間を選ばず測位システムが使えるようになってほしいと思います。

情報に基づいた農業が新規参入を促す

Q. 先生は、農業関係者向けにも様々なデモンストレーションを行っていますが、反応はいかがですか?

農業関係者向けにデモンストレーションを行う様子(提供:北海道大学)
農業関係者向けにデモンストレーションを行う様子(提供:北海道大学)

 農機の自動走行については、1年に10回ほどデモンストレーションを行っていますが、特に若い世代の方たちが関心を持ち、早く農機の自動走行を実現してほしいという意見が多いです。それには、農家戸数の減少と高齢化という、日本の農業が今抱えている問題が影響しています。日本の農家の戸数は、20年前と比べると53%ぐらいに減り、今の農家の平均年齢は66歳です。ある程度、経営を成り立たせるためには、農業の規模を拡大していくわけですが、労働力が足りないとそれを維持していくのが困難です。そういう意味で、人間の代わりに作業をしてくれる、農機のロボット化に対する期待が非常に大きいのです。

 また私は、農機の自動化以外に、情報に基づいて作業する「IT農業」の研究も行っていますが、こちらも皆さんの関心が高いですね。農家の高齢化と後継者不足が進む今、新規に農業を始める人が歓迎されています。でも農業は、天候や土壌など自然環境に影響されるものであり、経験を積まないとそれが分かりません。新規参入者の場合は経験がないため、うまく作物を育てることができないのです。そこで、その畑の生産履歴や収穫量、場所ごとの生育の善し悪し、肥料や農薬の散布量など過去のデータがあると、それを単純に真似るだけで、それなりに収穫できるというわけです。過去の作業履歴をとる場合、場所と時間の情報が当然必要になりますので、「みちびき」のような衛星による測位システムが非常に有効です。

Q. 日本ではIT農業がすでに行われているのでしょうか?

準天頂衛星のLEX信号の受信システム(提供:北海道大学)
準天頂衛星のLEX信号の受信システム(提供:北海道大学)

 日本では、北海道でようやくこれから少しずつ普及しつつあるという状況です。一方、アメリカやヨーロッパ、オーストラリアでは、ほとんどの農機にGPS受信機が搭載され、機械が自動的に肥料や農薬をまいてくれます。また、運転中にハンドルから手を離したままでも農機が真っ直ぐ走ってくれる、手放し運転のシステムもかなり普及しています。

 北海道の場合は、土地が広くて農業が盛んです。自治体の農業活性化に向けた取り組みもあって、新しい農業技術に関心を持っている方が多いです。一方、本州の農業はまだ規模が小さく、GPSを導入するほどではないと思われているのかもしれません。日本の場合、田植えと収穫を同時に行うことはありませんので、測位信号の受信システムが1セットあれば、田植機やコンバインなど、使う農機にその都度付け替えて、すべての作業に使うことができます。今の受信機を含めたロボットナビゲーションシステムは試作品で300万円ほどしますが、ロボット化された農機が1人分の働きをすると思えば、年間賃金と比べて決して高い額ではないように思います。システムを大量生産できるようになったら、もっと価格が下がるかもしれません。最近は、本州でも、水田で使う農機をロボット化しようという動きがありますので、「みちびき」が24時間体制になれば、IT 農業が一気に広まる可能性があると期待しています。

「みちびき」に高い関心を持つアジア・オセアニア地域

Q. 先生は、「みちびき」が測位可能なアジア・オセアニア地域の農業関係者とも交流があると伺っています。彼らは「みちびき」に関心を持っていますか?

 アジア・オセアニア地域は主産業が農業であり、「みちびき」を使った農業技術に非常に関心を持っています。韓国やマレーシアは、「みちびき」の受信機を使って、今年実証実験を行っています。特に、GPSの補強機能がとても期待されていますね。通常、GPSを補強するためには、補正信号を発信する基準局を地上に設置する必要がありますが、宇宙にある「みちびき」から補正信号が送られてくれば、地上にそのようなインフラを整備する必要はありません。そこが利点です。将来的には、日本発の測位衛星を利用した農業技術を海外に輸出したり、それを使って外交支援することができるかもしれません。

Q. 測位衛星による農機の自動化の研究を始められたきっかけは何でしょうか?

イリノイ大学に留学中の野口教授(提供:野口伸)
イリノイ大学に留学中の野口教授(提供:野口伸)

 1997年にアメリカのイリノイ大学に留学した時に、すでにアメリカでは測位衛星を利用した農作業の自動化の研究が進んでいました。アメリカの農場は日本と比べ物にならないほど大規模なので、農機の位置を正確に知るために、測位衛星が注目されていたのです。それで私も関心を持つようになりました。

 1998年にはアメリカで初めて、トラクターを無人で自動走行させるデモンストレーションを行い、参加者から拍手をいただいた時に手応えを感じました。でも、アメリカで使われている農機は、かなり大きくて速度も速いので、実際に無人で自動運転させるのは、安全面で難しいと感じています。一方、日本で使われている大きさの農機ならば、無人走行の可能性は十分あると思いました。

農業に魅力を感じてもらうきっかけに

Q. 先生が描く、測位衛星を使った農業の将来像を教えてください。

野口氏

 私の目標は、遠隔監視技術を使ったロボット農業を実現することです。現在農林水産省「農作業の軽労化に向けた農業自動化・アシストシステムの開発」というプロジェクトの中で実施しているものですが、複数の畑でロボット化された農機が自動運転していて、それを離れた事務所のモニターで監視しているというイメージです。その農機は無人運転で、肥料などがなくなった場合は、そこに人が行って補給します。地域ごとにモニター室を設けて、少なくとも、2人の人間で4台以上の農機を管理できるようなシステムを作りたいと思っています。

 その第一ステップとして考えているのが、1人の人間が2台の農機を管理するシステムです。無人で農機を自動運転させるには、安全性の面でまだ改善しなければならないところがあるため、その後ろを人間が乗った農機が追随し、安全を確認します。ただ、単に前の無人機を監視するのではなく、きちんと別の農作業を行います。同時に2つの作業を行えるので、2倍の能率になるわけですね。このように、まずは、ロボットと人間が協調して能率を上げるという形で始め、実用化に向けて進めていきたいと思っています。

 実は、この2台体制のアイディアを出してくれたのは、若い農家でした。農機を自動運転させることで一番問題になるのは安全性で、万が一、人をひいてしまったら大変なことになります。障害物を感知するセンサを使っても、100%安全ということはあり得ないのです。また、そのような危険性があるものにメーカーは手を出したがりません。そういう問題で行き詰まっていた時に、農家の方が意見してくれたのです。私たちは農業の現場で絶対に必要だと思う技術を開発しているものの、実際に田畑で働いているわけではないので、現場のことに疎くなりがちなんですね。ですから、農家の方たちからのフィードバックは非常に重要で、彼らから教えていただくことはたくさんあります。だからこそ、農家の方たちに満足していただけるようなシステムにしていきたいですね。

 現在日本では農村の過疎化が問題になっていますが、農村に魅力を感じてもらえるようになれば、人が集まってくるかもしれません。私の取り組みが、農業に魅力を感じてもらえる一つのきっかけになってくれればと思います。

野口伸(のぐちのぼる)
北海道大学 大学院農学研究院 教授。農学博士

1990年、北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。1997年助教授を経て、2004年より現職。1998〜2001年、米国イリノイ大学農業工学科教授。現在、中国農業大学、華南農業大学、西北農林科技大学の客員教授。専門は農作業の自動化、農業のリモートセンシング、IT農業。

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