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ルイス・フリードマン 米国惑星協会エグゼクティブディレクター 
「競争しながら協力できるチャンスをつくる」 松浦 晋也 サイエンスライター
「国際協調と日本の役割」 佐々木 晶 国立天文台 教授 
「理学的視点で見た日本の宇宙探査」 川口 淳一郎 JAXA宇宙科学研究本部 教授 
「技術挑戦で拓かれる新たな太陽系探査」 松尾 弘毅 宇宙開発委員会 委員 
「国際協調と日本の役割」
的川:20世紀の初めにツィオルコフスキーが「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という言葉を遺しています。それから100年が経ち、まだかなり浜辺の領域ではありますが、人類は宇宙へ飛び出しました。日本も、1970年の日本初の衛星「おおすみ」、1985年のハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」、1998年に打ち上げられた火星探査機「のぞみ」、そして昨年、小惑星イトカワに到達した「はやぶさ」と、惑星探査が大変盛り上がってきています。日本のこの動きをひとつの跳躍台として、さらに高いレベルの宇宙探査を目指し盛り上げていくためにも、皆さんに力になっていただきたいと思います。
最初に、宇宙開発委員の松尾先生に、日本の宇宙探査の歴史を振り返りながら、これから何を目指していくべきかを語っていただきたいと思います。



宇宙開発委員会委員 松尾弘毅「国際協調と日本の役割」
松尾弘毅 写真 私が宇宙探査に関心を持つようになったのは、40年前のことで、日本初のロケットを開発した糸川英夫先生の門下生でした。その当時、M型ロケットの原型である直径1.4メートルのロケットを開発中だったのですが、糸川先生に、直径2メートルのロケットで火星か金星に行くとどれくらいのものを持っていけるか計算するよう言われました。その時が、宇宙探査に関わるようになった始まりです。その後、1973年から1974年頃にアメリカのジェット推進研究所(JPL)でNASAの惑星探査の現場を見て、次第に、管制室で探査機を運用する自分の姿を夢に抱くようになりました。そして、1985年に打ち上げられた日本初の太陽系探査機でハレー彗星を探査する「さきがけ」「すいせい」の時にそのチャンスが巡ってきました。その後は後輩に現場を任せ、今に至るというのが、私の宇宙探査の歴史です。
1980年代は国際協力の幕開けでもあり、アメリカ(NASA)、ヨーロッパ(ESA)、旧ソ連(Intercosmos)、日本(ISAS)の4カ国でIACG(宇宙科学関係機関連絡協議会)という組織を1981年に結成しました。これは、惑星探査に限らず宇宙科学全般を協調しながらやっていこうというもので、ハレー彗星探査ではとても機能しました。4カ国が同時期にハレー彗星探査機を送りましたが、中でもヨーロッパは彗星の最も近く、500km付近まで探査機を接近させたいということで、それはとても危険なことでした。そのため、先に彗星に接近した旧ソ連がデータをヨーロッパに渡し、それを元にヨーロッパが予定通りの探査を成功させることができました。例えば、火星なら火星と目標を決めて、それに対してそれぞれが自国のミッションを持ち、さらに全体としてより大きな成果をあげるために協調していこうというのが国際協力のポイントで、このハレー彗星探査ではとてもうまくいきました。
その後IACGは、テーマを太陽地球系科学とし、主にプラズマ物理などで良い協力がありましたが、最近は共通のテーマを決めるのがなかなか難しくなり、ここ数年はIACGの陰が薄くなってしまいました。2国間協力が主体となってしまったのがその理由ですが、最近の月探査の話に歩調を合わせて、やはりIACGのような大規模な組織が必要ではないかという意見も出てきています。

一方、2004年1月にアメリカのブッシュ大統領が月面基地や火星有人探査などを盛り込んだ新宇宙政策を発表しましたが、これに対して日本は、我が国の計画に整合する限りにおいて協力したいという意向を示しています。特に月探査においては、以前から興味がありましたので、ぜひ協力していきたいと思っています。
また、国際協力というと、これは宇宙探査ではありませんが、国際宇宙ステーション(ISS)があります。実はこれは、リードパートナー(Lead-partner)と支持者(Significant contributors)の関係になっていて、要するにアメリカがつまずくと残りもこけてしまうような仕組みです。これは反省すべき点だと思います。今後はそれを避けるために、段階的にそれぞれに意味のある目標を定め、次々にこなしていく。そうすると、時間的あるいは冗長的な調整ができると思います。国際協力することは大事ですが、長期的な計画の場合は国の財政的状況や政治的状況が変化してきますので、その都度実際に起こっていることを考えた方が現実的だと思います。
また、日本が国際協力に参加する場合、自分たちの計画だけで成果を出せるような仕組みが望ましいと思います。例えば、月において日本は月周回衛星「セレーネ」という独自の計画を進めています。これを「月探査」の一環として考え、日本が独立して月の全球調査を行った後に、アメリカがそのデータを活用して月の探査をするという形でも、私たちが望むような協力関係になるのではないでしょうか。
日本は「はやぶさ」で実証できたように、無人探査の技術を蓄積しつつありますので、月探査への協力もしつつ、もっと広い範囲で太陽系探査をこれからも続けていくべきだと思います。


的川:日本の惑星探査は、月に「ひてん」が行き、火星には「のぞみ」、そして「はやぶさ」が今回のような素晴らしい活躍をするという時期を経て、やっとExploration(探査)の分野で自信を持って国際協力に参加できるようになったと思います。次に、川口先生に、今後の惑星探査に私たちがどのような展望をもって進んでいくべきか、日本の惑星探査の到達点ということも含めてお話いただきます。



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