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解 説 オートノミー模索の時代 −宇宙開発の“商業化/国際分業化の普遍化”と米国のリーダーパートナーシップ−
米田 富太郎 単なると言わざるを得ない無機質な時間の経過,しかし,ここに偶然に生き存在する何かの意義を強調する欲望から,これを歴史とし,ある個性を付与しようとすることは,もちろん何らかの意図ないしは必要があっての事である。もし,90年代の宇宙開発の現実,そして,ここに抱えている諸問題が,今,世界に生きる人々に何を提起しているのか,これらの提起は,宇宙開発の過去や現在はもちろん,将来をどのように形づくって来たのか,また,形づくるのかを考えなければならないとしよう。この必要に答えるためには,宇宙開発についてのある時間の経過を90年代の歴史感覚で歴史化しなければ,その問いへの回答はおろか,理解すら引き出すことができないであろう。90年代の宇宙開発の現実を理解したり,また,これまでの事実が孕んでいる問題に何等かの回答をするための中心的な手がかりは,80年代に顕在化した国家の全般的危機とこれをバネにした国家の再生のための歴史の中にある。この国家の全般的危機と再生とは,どのような意味を持った歴史なのか。この歴史の中で宇宙開発はどのような位置づけを与えられて来たのか。宇宙開発にとって80年代の歴史は,この国家の全般的危機の発生とその対応における宇宙開発の重要性の増大として表像される。宇宙開発は,国家の威信などという手段から,国家の全体的発展や安全のための目的として位置づけられるようになった。宇宙に係りをもたない国家は,あたかも国家ではないというようにである。'80年代の宇宙開発の法制度や法政策の理解,解釈や評価は,こうした中でなされなければならない。もし,法制度や法政策を“生きたもの”として捉えようとすればである。 80年代の国家の危機は,政治的には米ソ二極の対立的共存と南北対立の政治的コストの増大,そして,経済的には自由主義経済圏におけるIMFとGATTの動揺,社会主義経済圏における計画経済の非効率性の増大による生産性の著しい低下による窮乏化の進捗,また,政治,経済および社会全般に対する環境問題の影響力による近代的諸システムの限界の自明化と,その解決不能が強く自覚化されたことにその主因がある。つまり,歴史が文明的スケールで動揺する中で,文明の主要な担い手である国民国家の動揺が,80年代危機の歴史的表像である。たしかに,国際関係の文脈において,80年代は,冷戦の解体という表現で総括されることが多い。しかし,これを“歴史の終り”と理解するのは,つまり,ひとつの体制の勝利としてしか理解しないのはあまりにも小さな事件を歴史的に過剰に評価するようなものである。実態は,行きづまった近代化とその所産である国民国家システムに懐疑をもたらすという歴史の文明的スケールの動揺が80年代の全般をおおっていたということである。 この“歴史の文明的動揺”を正面に受けたのは,国家であった。なぜ,国家なのか。“近代”は,国家を構築し,国家システムを維持して来たという事実からそう言えるかもしれない。しかし,これ以上に,この危機や再生に,国家がより直接的に自覚し反応しなければならない程に大きな存在になっていたことを,国家自身が自覚せざるを得なかったという文明史的認識とその理由の大半があった。すなわち,先進国における産業の空洞化,犯罪の増大や社会不安の広範化,社会主義国や発展途上国における発展の遅滞や抑圧的政権の居座りが,国家による人間の全般的安全や発展を阻害することが明確になる中で,国家に代替する存在のなさを国家や国民が自覚する中で,国家への回帰が強く求められたということである。確かに,グローバリズムやトランスナショナルなるものに多くの期待は寄せられたが,この時点において,それはあくまで抽象的な存在であり,人間の全般的安全や発展に貢献する具体的存在にはなりえていなかったからである。 国家は,その再生のために何をなしたのだろうか。正しい選択であったか否かは不明であるが,自由主義的国家であれ,社会主義的国家であれ,また,先進国であれ,発展途上国であれ,すべての国家という国家は,その市場的効率に,その方向を確定した。それは,過去のリベラリズムを呼び起こしながら,この状況に適合する観念が創造され現実化が索された。世界規模の市場主義が,それである。競走の純化や美化を強く指向すること,純化されたマーケットメカニズムに忠実な政治を実行すること,これを世界標準とすること,そのために地球規模の協働的分業ネットワークとメカニズムを構築すること,攪乱者や違反者に対する協同的制裁システムやメカニズムを構築することが,国際的普遍性をもつものとして正当性を獲得することになった。この世界標準主義を生み指向させた主たる存在が米国であることから,これをある人はアメリカニズムの世界化=普遍化という。 しかし,米国の戦略的意思を強く帯びた――バイデザイン的な――このイデオロギーは,当然に多様な文化・文明に普遍性を持つものでないのにも係らず,なぜ普遍化したのだろうか。米国によって主導され,それゆえに普遍性をもちえないこの新しい理念が,なぜ普遍性をもちえたのだろうか。そして,なぜ,このことが国家の危機と再生に結びついたのだろうか。自由な市場の拡大は国家システムを越えるポテルシャルを持ち,国家はここに自からの危機を自覚した。そして,その再生を市場の推進者,保護者としての地位の獲得,特に,その中心者であることに求めたからである。米国は,これを最初に,最大に自覚し行動した国家であった。だから,米国は米国でありながら,普遍の体現者として存在することになった。サンドロ・ボッテチェルリの「ヴィーナスの誕生」に描かれている,あの左手で押さえて隠してきた国民国家を象徴する亜麻色の長い髪を,払いのける挑戦的行為――市場主義の世界化――が,歴史の文明的転換を具体化し,その新しい“歴史の創造”において普遍的存在としての米国の再生と独占を世界に告知したかのようにである。 この歴史の文明的うねりに宇宙開発も無関係ではなかった。むしろ,宇宙開発は,この歴史の象徴的事象,そして課題としての意味をもつものであった。“宇宙開発の商業化政策の席巻,国際的分業の再編成としての意味を色濃くもった国際協力政策の喧伝や追従,そして,これらを経由したアメリカ合衆国によるリーダーパートナーシップ”は,宇宙開発技術やシステムが本来的に持つ国家戦略的位置役割との関係から,国際および国内的な宇宙開発体制に構造化されるようになった。つまり,この構造に拘束される中で,宇宙開発に参入する国家は,自覚的にも無自覚的にも,それぞれの相対的に有利な位置役割の獲得に多面的分野において努力するという限定的活動に閉じ込められることになった。80年代の宇宙開発は,米国をパートナーリーダシップとする分業再編成構造のもとでの協同活動としての性格をもつようになった。新リベラリズムは,宇宙開発の商業化に繋がり,世界標準化とその遵守は国際協力につながり,その秩序の維持は米国のパートナーリーダーショプに繋がっていった。 この構造への傾斜を法および法政策の分野に探れば,国際関係法分野では「宇宙基地協定」に典型的に見られる。たとえば私企業からの受託的研究やそこから生じる知的財産権の保障に見られるの経済的効果の重視,そして国家財政原則における財政効率性の重視という商業的要素,資金やパイロットやミッションスペシャリストの協同参加,財政負担や個別分担的作業という分担的・分業的国際的協力要素やこれらを総括するものとしての米国のリーダシップが位置付けられる中に所見される。また,国内法分野においては1984年以降の米国の一連の宇宙商業化政策や国内法,たとえば,リモートセンシング商業化法や商業打上げ法に見られる,科学技術政策の発展やその経済的効果の重視とそのための民間活力の重要視という商業的要素,自国の宇宙開発の財政的負担の逓減や効率化のための国際的協同活動の推進を行うこととか,リーガルインペリアリズムとも揶揄されるような国益の実現のために国際法規に影響力を持つような国内法規の早期の制定というリーダーシップの要素を取り入れている中に所見される。国内法制および法政策において,米国の対応は,その典型にしか過ぎず,その類似型は,宇宙開発に参加しているすべての国家の宇宙および関係法に所見されるものである。 しかし,同時に80年代は,こうした“80年代的宇宙開発原理”の限界ないしは懐疑を露呈する歴史であったことも間違いのないことである。これらが宇宙開発の混迷と停滞をもたらしたことである。公的部門における効率,実用優先主義をモットーとする商業化政策は,宇宙開発の公的支持基盤を特殊社会集団,階層や分野に限定(私物化)して,人類の発展を経済的発展に溶解させてしまった。86年のチャレンジャー事故に象徴されるように,宇宙開発のショービジネス化と特殊専門化の分化は,宇宙開発の理念自体をも喪失させる危険を孕んだ。国際協力は,負担の他者への転嫁や新しい不公平な比較優位の手段に転化したり,その範囲は特殊地域ないしは特殊関係なるものに限定される可能性も生じた。この混迷と停滞の中で,国家としての米国がジェネラルな宇宙開発の姿勢を崩さなかったことは,宇宙開発の発展にとってひとつの救いであったと認めざるをえない。その根気あるジェネラルな開発姿勢と努力は,米国のパートナーリーダーとしての地位を明確にし,米国の国家的再生を実現する中で,90年代における世界的経済停滞状況における宇宙開発の在り方を率先的に模索することに繋がっていった。 |