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ブラックホールは空想から実証科学へ
 こうして最初は空想の産物だった「ブラックホール」が、しだいに現実味を帯びてきたわけですが、その存在を観測から実証するには、X線天文学の登場を待つ必要がありました。少し時代をさかのぼりましょう。今から110年ほど前の1895年、ドイツのレントゲンがX線を発見しました。当時はその正体が不明なため「X線」と名付けられたわけですが、これは電磁波の一種です。赤い光の波長を半分にすると紫の光になり、さらに半分にすると紫外線となって、目に見えなくなります。こうして波長をどんどん縮め、可視光の50分の1から5000分の1ぐらいの短波長になった電磁波が、X線です。
 電磁波は、波であるとともに、フォトン(光子)とよばれる粒子の集まりと考えることもできます。フォトン1個のエネルギーは、電磁波の波長に反比例するので、X線のフォトンは可視光のフォトンに比べ、50倍から5000倍も高いエネルギーを持ちます。そのためX線を発生させるには、高い電圧や高い温度などが必要になります。ご家庭でスイッチを入れると照明がつく代わりにX線が出る、などということは起きません。
 そういう高いエネルギーを持つX線は、レントゲン検査でおなじみのように、人体を透かして見せてくれるくらい透過力が強いのですが、不思議なことに、この地球の大気には完全に吸収されてしまいます。そのため大気の底に住んでいる我々は、大気圏外から強いX線が来ていることに、長い間、気づかなかったのです。
 その大気圏外からのX線が最初に見つかったのは、ちょうど私の生まれた1949年のことでした。ナチスドイツが開発し、ロンドンの空襲に使った「V2ロケット」を、戦後にアメリカが押収し、いろいろな科学観測に使っていました。すると、どうも太陽からX線が来ているらしいということが分かったのです。現在の知識で考えますと、このとき検出されたのは、太陽コロナが発する強いX線でした。
 時代が下がって1962年に、太陽系よりさらに遠い宇宙から、X線が来ていることが発見されました。さらに1970年、「ウフル」という衛星が打ち上げられ、X線天文学は画期的な展開を迎えたわけです。その開祖となったのが、本日おいでのジャッコーニ博士、そして先ほどからお名前がでております小田稔先生でした。小田先生は、我々の世代にとって共通の先生でしたが、本当に残念なことに、3年前に他界されてしまいました。
小田稔先生写真 ジャッコーニ博士写真
はくちょう座X-1写真  その小田先生がとりわけお好きだった天体が、はくちょう座の白鳥の首のところにある、「はくちょう座X−1」という強いX線天体です。ジャッコーニ博士が中心となって「ウフル」衛星が打ち上げられると、さっそく小田先生たちは、この衛星を使って「はくちょう座X−1」を観測しました。すると1秒ほどの短い時間で、バタバタとそのX線の強度が変動していたのです。小さいハツカネズミはちょこちょこ動き、大きなゾウはゆっくりと歩きます。そこで、これほど速く変動する天体は、きっと小さいだろうと想像できます。しかも普通なら出ないX線がここからは出ている……。となれば、単に小さいだけでなく、特別な天体でありましょう。そこで1971年に小田先生たちは、「はくちょう座X-1はブラックホールかもしれない」という論文をお書きになりました。これが、実在の天体とブラックホールを結びつけた、世界で初めての成果になったわけです。




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