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はやぶさ、地球への旅に出発
〜最後のチャレンジを達成するために〜
サンプル採取の成功を信じて
サンプラー 矢野 創

サンプラーは、小惑星表面のサンプルを採取する装置です。探査機の下に張り出した、長さ1m、直径20cmの、円筒と円錐を組み合わせた部分を「サンプラーホーン」と呼びます。その先端が小惑星の表面に接触すると、弾丸を撃ち込んで表面を砕きます。大きさ500mほどの小惑星イトカワの重力は地球の数十万分の1程度しかないため、弾丸によって砕かれ、放り出された破片はホーンの中を反射しながら、探査機内部に設置されたサンプル容器に収まるというしくみです。「月より遠い天体表面のかけらを地球に持ち帰る」という挑戦は世界で初めてのことです。



サンプラーホーンのプロトタイプモデル

Q.サンプラーの開発で苦労された点はどのようなことですか?


とにかく世界の誰も作ったことがない装置なので、苦労の連続でした。私たちに与えられた課題は、相手の小惑星の表面の様子は現地に着くまで分からないので、一枚岩から粉体までどんな表面であっても、探査機が1回につき1秒接触するだけで、ある程度のサンプルが採れる装置を創ることでした。そこで開発の初期では、多くの科学者とエンジニアがさまざまなアイデアを持ち寄って、意見を戦わせました。例えば、鳥もちのようにネバネバした板を表面に押しつけて、そこにくっついた物を採る方法も考えました。表面が粉体で覆われている保証があれば、この方法でもサンプルが採れると思いますが、大きな一枚岩の上に接地したら何も採れません。最終的には、20種類以上出たアイデアの中から、弾丸を撃って岩を砕き、粉体を巻き上げる方式を選びました。
サンプラーホーンは探査機の端っこに付いていますから、ほとんど重力のない小惑星表面にホーンが長い間接地していると、重心を軸にして探査機が回り出してしまいます。ですから接地したらすぐに上昇しないと、探査機が姿勢を崩して尻もちをついてしまうという制約がありましたが、秒速300mで撃ち出す弾丸方式なら1秒以内で採取が終わります。
いったん弾丸方式が決まった後も、採取できるサンプルの量を少しでも増やすため、さまざまな形のホーンや弾丸を試作して、落下塔や飛行機を使った微小重力実験などを繰り返し、最終的な形に落ち着きました。ホーンの中ほどは防弾チョッキでくるまれたバネで構成された蛇腹になっていますが、これもオリジナルのアイデアです。蛇腹にすることによって、探査機をロケットに搭載する時はホーンを折り畳むことができますし、小惑星の地面でこぼこしていたり斜めであっても、ある程度は角度に倣ってホーンの先端を押しつけることができるという利点があります。



Q.これまで「はやぶさ」を運用してきた中で、印象深かったことは何でしょうか?


打上げ、小惑星への到着、イトカワへのタッチダウンのどれもが印象的でした。「はやぶさ」は、2003年5月に、鹿児島県の内之浦宇宙観測所からM-Vロケットによって打ち上げられました。私は、打上げ当日最も遅くまで探査機にアクセスできる一人で、探査機内部に流していた窒素ガスのチューブを外して、探査機が格納されたロケットの蓋を最後に閉める役目でした。ロケットが打ち上がった後にガスの供給装置を片付けに発射台に戻ると、半日前に「じゃあね」と言って別れた「はやぶさ」を搭載したロケットはもうそこにはいません。ただ、焼き焦げた発射台だけがひっそりとそそり立っているのを見た時、「ああ、本当に宇宙へ行ったんだなあ」と感慨深いものがありました。


「はやぶさ」着陸地点のミューゼスの海

また、イトカワに到着してその姿を一目見た瞬間に、「こいつは人類がこれまで見たこともない天体だ」と直感して、大変興奮しました。世界中の惑星研究者の多くが予想していたクレーターがほとんどなく、その代わりにまるで地球上の土砂崩れのように大きな岩がゴツゴツと寄せ集まっていました。同時に、探査機が安全に着陸しサンプル採取できそうな場所はほとんどなく、やっかいだなとも思いました。その後の詳しい観測の結果、唯一着陸できそうなところは、「ミューゼスの海」と呼ばれている幅60mぐらいの小さな平原だけと分かりました。ただしこの場所は、サンプラーを開発していたときに想定していた、一枚岩でも粉体層でもなく、数mmから数cmの大きさの砂利が敷き詰められたような場所でした。まさか、こんな地形がイトカワほど小さな小惑星にあるとは思っていなかったので、急きょ砂利を模擬した衝突実験を始めました。昼間は「はやぶさ」の運用を担当していたので、毎晩運用が終わってから実験室にこもって、深夜まで何度も実験を繰り返しました。
そして、ようやく迎えた第1回目のタッチダウン。私はこの日、タッチダウン直後からの運用責任者でした。関係者が運用室に集まり、「はやぶさ」が小惑星に降りていくデータを、固唾をのんで見守っていました。ところが、もう着地してもいいという時刻になっても、探査機から送られてくるデータでは、まだ降下を続けているように見えます。まさか、探査機がイトカワの地中に沈んでいくはずがない。もしかしたら小惑星を通り過ぎてしまったのかもしれない。あるいは着地したのかもしれない、と不安がよぎりました。光の速さで往復30分以上かかる宇宙空間にいる「はやぶさ」に、いったい何が起きているか、運用の真っ最中には分からなかったのです。もし着地していた場合、小惑星の自転によって日陰に入ると発電できなくなり、さらに地球と通信ができない位置にくると、探査機を見失うことになります。運用チームの中で短時間ながら濃密な議論を行った結果、どちらのケースにしても、とにかく、探査機を地球側に飛ばそうとの決断が下され、緊急離脱の命令を探査機に送りました。これは一種の賭けでしたが、幸いなことに私が担当していた運用時間中に探査機との通信が回復し、無事に探査機を再びコントロールすることができました。もし探査機を見失っていたら、「はやぶさ」ミッションはあの日で終わっていた……。そう思うと、一生忘れられない経験になりました。




「はやぶさ」が着陸したミューゼスの海は小石の平原だった

Q.「はやぶさ」のサンプル採取は成功したと思われますか?


「はやぶさ」は2回のタッチダウンを行いました。最初のタッチダウンでは、その後の解析によって、「はやぶさ」は小惑星への着陸に成功していたことが分かりました。ただしこのときは、サンプラーホーンが小惑星の表面に接触する前に、降下中の探査機自身が障害物を検出し、「危ないので逃げよう」と判断しました。タッチダウン中止指令の中には、弾丸の発射中止の命令も入っていましたので、このときは弾丸を撃ちませんでした。ところが、その後「はやぶさ」は小惑星を離脱せずに、そのまま小惑星に降下し続けました。最初にホーンの先端が表面に接触し、2回バウンドした後に、コテンと小惑星の表面に倒れて、30分ほどその場に居座ってしまったのです。
2回目のタッチダウンは、それまでの降下リハーサルの成果を発揮して、サンプラーホーンの先端が約1秒間だけ小惑星の表面に接触して、すぐに上昇するという、予定通りの行動ができました。弾丸を撃つために必要な着地信号が正しく検出されたことも確認できています。唯一分からないことは、実際に弾丸発射の火薬が爆発したかどうかです。火薬の爆発を確認する情報は、「はやぶさ」のメモリーに書き込まれます。しかし、小惑星表面から上昇して地球に通信を送り始めた頃、「はやぶさ」は燃料漏れを起こして姿勢を崩し、数日間、地球との通信が不通になってしまいました。その後、通信は回復しましたが、地球との通信が途絶えた間に「はやぶさ」は一度凍りつき、一時的なメモリーに書かれていた記録失われてしまいました。その後、残された情報から周辺状況を調査すると、残念ながら弾丸が発射されなかった可能性が出てきました。もし、2回目のタッチダウンで弾丸を撃っていなかったら、当初の予定通り1秒ほどしか小惑星に接触していなかったので、サンプルはほとんど採れていないと思います。


第1回目のイトカワ着陸(想像図 提供:池下章裕)


一方、1回目のタッチダウンの時に弾丸は撃っていないものの、30分間という、想定外に長い間、「はやぶさ」はサンプラーを小惑星の表面に向けて座っていました。その結果、意外な期待が生まれました。重量約500kgの探査機に付いたサンプラーホーンの先端が秒速10cmの速さで小惑星表面の砂利をつつくと、表面の物質がわずかに舞い上がる可能性があります。イトカワの重力は地球の数十万分の1ほどしかないため、ゆっくりとホーン内部で持ち上がった砂利は「はやぶさ」が30分座っていた間に、探査機内部のサンプル容器に到達したかも知れません。ですから、私たちは、1回目のタッチダウンの時にサンプルが採れたのではと期待しています。真実は、地球にカプセルが帰ってきて、蓋を開けた時に明らかになります。


Q.「はやぶさ」ミッションを通じて学んだことはありますか?


人間の想像力と、自然の奥深さのせめぎ合いとでも言うのでしょうか。やはり、未知、未踏の自然の多様性を、人間が過去の体験の延長線上から正しく想像するのは難しいと思いました。イトカワの驚くべき姿を明らかにしていく中で、人間の想像力は、所詮は生まれ育った地球の環境の中で制限を受けているということを痛感しました。ある意味、イトカワは太陽系が生まれた時のそのままの姿を私たちに見せてくれている、まるで魚のシーラカンスのようなものです。シーラカンスは21世紀の今も生きていますが、その体の中を調べると、太古の魚の生態が分かります。それと同じで、イトカワは現存する天体でありながら、45億年前の地球が誕生した頃の情報を私たちに与えてくれます。人間の理屈や想像が生み出したシナリオではなく、宇宙から直々に太陽系誕生の秘密を教えられた気がします。


Q.先生にとって「はやぶさ」はどういう存在のものでしょうか?



2003年5月9日、「はやぶさ」はM-Vロケットによって打ち上げられた


私にはまだ子供がいませんが、自分の子供みたいな存在だと思っています。
「はやぶさ」の打上げの時、宇宙へ行ってからは、それまで地上での開発で苦労したこと以上にさまざまな困難に合うだろうと思い、実際にその通りでした。しかし小惑星に着いて、数々の新発見をして、サンプルを持って帰ってくることができたら、それらが全部吹っ飛ぶくらいに大変な喜びがあるはずだと信じて、これまでやってきました。
これはおそらく子供を育てるのと似ているのだろうと想像しています。子供はこの世に生まれてきていろいろな苦労をして、悲しいことや辛いことも体験するけれど、だからといって、子供が生まれてきてほしくないなんて思う親はいないはずです。ですから、苦労することは分かっているけれども、それを乗り越えて力強く宇宙に飛んで行ってほしいという気持ちで「はやぶさ」を送り出しました。やがて「はやぶさ」はイトカワに到着して、今は何がなんでも地球にサンプルを持ち帰ろうとしています。私は今、子供を育てることによって自らも成長する親のような気持ちになっています。


Q.先生の今後の夢はどのようなことですか?


「はやぶさ」の経験を活かし、別の小惑星や彗星からサンプルを持ち帰るプロジェクトを実現したいと思います。今度は、私たちの生命の成り立ちまでもが分かるような物質を採取したいです。私たち地球上の、いのちの源の原材料を突き止めるようなことができたら素晴らしいと思います。


Q.「はやぶさ」の帰還に向けて、どのようなことを思われますか?


サンプルを採って帰ってきて初めて分かることがたくさんあると思います。そういう意味では、「はやぶさ」が地球への帰路に出発した今は、やっとマラソンの折り返し地点に来たところかと思います。



Q.未来の宇宙開発を担う子供たちにどのようなことを伝えたいですか?


「はやぶさ」のような探査機は、お店では売っていません。同じ夢を持つ大勢の友だちと力を合わせて、自分たちで創るものです。自分たちがやりたいものは自分たちで創るというのが、宇宙科学の世界だと思います。
「はやぶさ」は、アニメでもSF映画でもなく、ゲームでもありません。宇宙が好きな大人たちが作っている、現実のものだということを、今の子供さんたちにぜひ分かってほしいなと思います。私たちの世代が「はやぶさ」ミッションを行うことができたわけですから、次の世代を担う皆さんは、必ずもっとすごいことを自分たちの頭と手を使って生み出せると思います。ぜひ頑張っていただきたいです。

矢野創(やのはじめ)
JAXA宇宙科学研究本部。固体惑星科学研究系助手。理学博士。
1995年、英国ケント大学院宇宙科学科専攻博士課程修了。NASAジョンソン宇宙センター研究員などを経て、1999年から現職。総合研究大学院大学宇宙科学専攻・助手を併任。専門は惑星科学、宇宙環境科学。特に小惑星、彗星のような太陽系小天体とそのかけらである流星や宇宙塵の研究、微小重力地質学、超高速衝突物理学、スペースデブリなど。
Hayabusa Project Team
川口 淳一郎 吉川 真 國中 均 矢野 創 安部 正真 齋藤 潤 澤井 秀次郎 吉光 徹雄
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