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スペースシャトルと日本の有人宇宙活動の歩み

有人宇宙活動のすべてを教えてくれた

Q. スペースシャトルのミッションで印象に残っていることは何でしょうか?

スパルタン衛星の接近を待つ土井(右)、スコット(左)宇宙飛行士(提供:NASA)
スパルタン衛星の接近を待つ土井(右)、スコット(左)宇宙飛行士(提供:NASA)

1997年11月に打ち上げられた土井宇宙飛行士のSTS-87ミッションの時のことです。当時、私はスペースシャトルに搭乗する日本人宇宙飛行士を支援する仕事をしていて、STS-87が最初にジョンソン宇宙センターで担当したミッションでした。この時、土井宇宙飛行士が日本人で初めて船外活動を行いましたが、急遽予定外の作業が入りました。スペースシャトルのロボットアームで放出したスパルタン衛星が軌道投入に失敗してしまったため、その衛星を土井宇宙飛行士とスコット宇宙飛行士の2人が手づかみで回収することになったんです。人工衛星の捕獲はスペースシャトルのロボットアームを使った作業の中でも特に難しい仕事なのに、それを素手でやると言うのです。
そこで私たちはNASAの協力を得て、ジョンソン宇宙センターに当時できたばかりのバーチャルリアリティ・ラボ(仮想現実研究室)で、安全に衛星を捕らえることができるかを疑似宇宙飛行士となって確認しました。実際に我々がやってみて大丈夫という確認を取った上で、土井宇宙飛行士に作業させることにしたのです。それ以来、日本人搭乗員の作業の安全を、我々日本人スタッフがさまざまなやり方で確認するというのを続けています。

Q. シャトルのミッションで教わったことは何だと思いますか?

スペースシャトルの運用管制室(提供:NASA)
スペースシャトルの運用管制室(提供:NASA)

有人宇宙活動とはどういうものなのか、まずはスペースシャトルでの宇宙実験に参加することで全般の運営ぶりを学ぶことができたと思います。一方、NASAは1995年〜1998年に、ロシアのミール宇宙ステーションとスペースシャトルをドッキングさせるミッションを9回行い、ISSの建設に備えました。そして、ISSはスペースシャトルの飛行を37回行って、2011年7月に完成されました。シャトル・ミールミッションからISSの完成まで、その様子をNASAの側で見ることができましたので、宇宙飛行士の訓練なども含めて有人宇宙飛行がどういうものかよく分かりました。
特に、NASAの事故後の対処の仕方については、さすがという感じがしましたね。コロンビア号事故の後、ジョンソン宇宙センターでは初動体制として、危機対処チームや原因究明チームなどが編成され、さらに外部委員によるコロンビア事故調査委員会が設立されました。そして私たちISSプログラム側は、スペースシャトルの飛行の見通しが立っていない状況でも、事故の翌日からすぐにISS運用継続の協議を開始しました。飛行再開に向けたNASAの実証試験も実際に見ましたが、そこまで費用をかけてやるのかと思うほど徹底して行っていました。日本が将来、有人宇宙船を開発するとしたら、このような不慮の事故に対する備えも必要だということを改めて考えさせられました。
また、私は「きぼう」の運用管制チームの育成も担当していましたので、スペースシャトルの運用管制チームの動きには大変関心がありました。どのミッションにもいろいろなことが起きますので、その都度、運用管制チーム、特にフライトディレクターがどのような対応をとるのかをよく見て勉強しましたね。スペースシャトルとISSのミッションは期間が異なりますが、基本的な対処方法はとても参考になりました。現在、筑波宇宙センターの「きぼう」運用管制室では総勢60名が24時間体制で業務を行っていますが、スペースシャトルの運用管制から学んだことが生かされています。

Q. スペースシャトルは日本の宇宙開発にどう貢献したと思われますか?

ISSとドッキングしたスペースシャトル(提供:NASA)
ISSとドッキングしたスペースシャトル(提供:NASA)

貢献したことは2つです。1つは、日本人宇宙飛行士も含めて、宇宙に人が行って新しいフロンティアを開拓できるということ、つまり有人宇宙飛行を一般の人々にしっかり印象付けてくれたことです。スペースシャトルのおかげで、宇宙を身近に感じられるようになりました。
2つ目は、ISSが完成するまで飛び続けてくれたこと。スペースシャトルがなかったら、「きぼう」を打ち上げることはできませんでしたし、ISSの組み立てもできませんでした。コロンビア号事故の後、安全確保のためにスペースシャトルの打ち上げ費用は高くなり、1回につきおよそ10億ドル(約800億円)かかるとも言われていました。それでもスペースシャトルは20回ほど飛んでいます。ISSが完成するまできちんと続けてくれたのは、アメリカのリーダーとしてのプライドからだと思いますが、私は大変感謝しています。

次期国際宇宙協力に目を向けて

Q. 日本独自の有人宇宙船の開発についてはどう思われますか?

宇宙無人補給船「シグナス」(提供:Orbital Sciences Corporation)
宇宙無人補給船「シグナス」(提供:Orbital Sciences Corporation)

スペースシャトルが退役した今、ISSへ人を輸送するのはロシアのソユーズ宇宙船のみです。ソユーズ宇宙船は信頼できる宇宙機ですが、ISSへの手段が1つしかないと、万が一事故が起きた場合に対処できなくなります。実際に、コロンビア号事故のため飛行が延期されていたスペースシャトルの代わりに、ソユーズ宇宙船が人員輸送に使われましたよね。ですから、新しい有人宇宙船の開発はとても重要です。
スペースシャトル退役後、NASAはISSの運用は自ら行うけれど、地球低軌道への人や物資の輸送は民間から調達すると発表し、アメリカでは民間主導の宇宙輸送船の開発が進められています。一方、日本は「きぼう」という実験棟を作って、宇宙ステーション補給機「こうのとり」で物資輸送ができるところまで到達しました。次は、「こうのとり」に回収機能をつけることを目標としていますが、その先にある有人宇宙船はどうかと言うと、有人宇宙飛行に対する国の方針が決まっていない状況です。ですから今は、ISSに関連した技術の中で、有人宇宙船につながる要素技術を手にすべく研究をして備えているところです。
技術力の点で言えば、例えば「こうのとり」のランデブー・ドッキングの技術は世界的にも高く評価されていて、海外の会社もそれを手本にしています。アメリカで開発中の宇宙船の1つに、NASAと商業軌道輸送サービスの契約をしているオービタルサイエンス社の無人補給船「シグナス」があります。実はこの「シグナス」には「こうのとり」と同じ近傍通信システムが使われるんです。近傍通信システムとは、宇宙機をISSに誘導し、安全に結合させるための重要な通信装置です。「こうのとり」で実証されたことにより、オービタルサイエンス社はそのシステムを日本企業から調達しました。
その他にも、水や空気の再利用技術は日本の得意とする分野ですので、その技術を宇宙船のトイレなどの水処理や、空気再生装置の開発などに生かせる可能性があると思っています。

Q. 今後日本のISSプログラムはどのように展開していくのでしょうか?

「きぼう」のロボットアーム(提供:JAXA/NASA)
「きぼう」のロボットアーム(提供:JAXA/NASA)

ISSを本格的に利用する時代となり、ISSは2020年までの運用が決まっています。まず2015年までは、宇宙実験をしっかりとやって成果を出します。科学的な実験ではすでに成果が出始めていますが、これからどんどん成果が出ると思います。「きぼう」では科学実験のほか、文化・人文社会科学的な利用も行い、宇宙利用のすそ野を拡げたいと考えています。新しい利用法としては、2012年秋に、「きぼう」のロボットアームを使って小型衛星を放出する世界初の実証実験を行う予定です。
また2016年以降は、それまでの成果を踏まえて、ISSが有効に活用される分野に絞り込んだ利用活動を行いたいと思います。それに加えて、次期有人宇宙探査への協力に向けた技術実証の場としてISSを使おうということを、国際的に話し合っています。

Q. これからの日本の有人宇宙活動に期待することは何でしょうか?

次期有人宇宙探査について、アメリカは国際協力でやりたいと言っていますが、日本の場合は経済的な理由からも国際協力でなければできません。アメリカは日本の10倍を超える有人宇宙飛行予算がありますが、それでも足りないと言っているくらい有人宇宙探査には大規模な投資が必要です。それに宇宙は人類全体のフロンティアですから、本来的に国際協力で行うべきだと思います。
日本は「きぼう」や「こうのとり」で実績をあげ、ISSパートナーの中での日本の存在感を獲得し、宇宙先進国の一員としての地位を築いて来たと思います。これまでの投資に見合うものだと思いますし、技術蓄積も十分あります。ここまでやってきて止めるというのはないでしょう。国として一定の投資をするとの判断をしていただけると期待しています。継続することが大事です。
日本人が控え目なのは国民性ではありますが、日本の宇宙技術は世界トップクラスだと自負していいのではないでしょうか。日本はもっと自信を持って、次の国際的な取り組みにも積極的に参加するべきだと思います。

横山哲朗(よこやまてつろう)

JAXA有人宇宙環境利用ミッション本部 国際宇宙ステーションプログラムマネージャ
1973年、三井造船株式会社に入社し船舶の設計に従事。1986年、宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に移り、「きぼう」の予備設計、基本設計、国際調整担当を経て、1994年、「きぼう」の運用準備を担当。2001年、ヒューストン駐在員事務所所長。2005年、セントリフュージプロジェクトマネージャ。2006年、JEM運用プロジェクトチーム サブマネージャを経て、JEM運用技術センター長。2010年4月より現職。

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