地球環境に秘められた生命機能を発見する 宇宙飛行士、「宇宙に生きる」プロジェクト代表 古川 聡

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地球環境に秘められた生命機能を発見する 宇宙飛行士、「宇宙に生きる」プロジェクト代表 古川 聡

宇宙長期滞在の経験をきっかけに

— 昨年、古川宇宙飛行士が代表を務める研究プロジェクト「宇宙からひも解く新たな生命制御機構の統合的理解(宇宙に生きる)」が発足しました。その概要を教えてください。

国際宇宙ステーション(提供:JAXA/NASA)国際宇宙ステーション(提供:JAXA/NASA)

 「宇宙に生きる」は、文部科学省が公費で研究を支援する科学研究費補助金を受けて設立されたプロジェクトで、同プロジェクトの期間は2015年度から2019年度までの5年間です。私たち地球生命体が宇宙という極限環境で生活する場合、無重力、閉鎖環境、放射線という3つの要素の影響を受けます。これら3つの要素が人間の身体にどのような変化をもたらすのかを統合的に研究します。宇宙という切り口で人間の身体のことをいろいろ調べることで、地球上の生活では気づかなかった新しい生命機能を発見できると考えています。一方、国際宇宙ステーション(ISS)では宇宙医学実験を行っていますが、それとも連携して成果を最大化できればと思っています。

— プロジェクト発足のきっかけは何でしょうか?

宇宙に長期滞在中の古川宇宙飛行士(提供:JAXA/NASA)宇宙に長期滞在中の古川宇宙飛行士(提供:JAXA/NASA)

 私は2011年に約5ヵ月半ISSに滞在し、さまざまな身体の変化を実際に体験しました。長期間の無重力状態を地上で訓練することはできないため、宇宙に行ってみて初めて分かることも多く、それは新鮮な驚きでした。最初に体験したのは宇宙酔いと体液シフトです。最初の1週間はずっと乗り物酔いをしている感じで気持ち悪かったです。また、血液を含めて体液が頭の方に移動し下半身は細くなるのですが、その代わり顔が膨れ、ずっと逆立ちしているような頭の芯が重いような感覚がありました。そのほかにもいろいろあります。ISSは閉鎖環境ですからストレスが溜まりますし、微生物が地上とは違うかたちに育つ可能性があります。地上では人間・動物・虫・植物が共存し、さまざまな微生物が深く関与しています。ところが宇宙では人間しかいないので、身体の中の微生物だけでなく病原微生物なども変化する可能性があるのではないかといわれています。また、重力による負担がないため、運動をしなければ骨密度が減り、筋肉が萎縮してしまいます。さらに宇宙では地上の数十倍の放射線を浴びてしまいます。

 私は、地球に帰ってきたときに重力酔いに悩まされました。身体がすっかり無重力仕様になっていたため、地上の重力環境における平衡感覚を失ってしまったのです。首を動かすと特に気持ち悪くなり、本当に不思議な感覚を味わいました。これらの経験を通じて、無重力やストレス、放射線といった宇宙における生物学的リスクは、相乗的に作用するのではないだろうか?地上でも関連する問題があるのではないか?と感じたのです。そこで、統合的に研究する必要性を強く感じ、プロジェクト発足を決意しました。

統合的な研究で新しいものを生み出す

— どのような体制で研究が進められるのでしょうか?

閉鎖環境適応訓練設備閉鎖環境適応訓練設備

 単独のチームではできないような統合的な研究を行い、新しいものを生み出すというのがプロジェクトの狙いです。現在はJAXAを含めて11の研究チームがあり、各チームが得意な専門分野で力を合わせて研究を進めています。例えばJAXAの閉鎖環境適応訓練設備を使ったストレスの研究では、精神心理、睡眠、脳血流、微生物といった専門家が参加して複合的に調べます。また、宇宙における筋肉の萎縮を研究する場合も、筋肉だけでなく血管や神経の観点からも検討できるよう、さまざまな領域の研究者を集めて進めていくというイメージです。このように、いろいろな専門の方たちが集まることの利点は、横断的な研究ができることです。集まって議論していると自分では考えつかなかった意見やアイデアが出てくるため、視点を変え、視野を広げることができます。これまで情報共有や意見交換を行うことで非常にいい効果が得られていますので、今後もしっかりコミュニケーションをとって進めていきたいと思います。

— ご自身も研究に参加しますか?

古川聡

 私のチームは閉鎖環境における心理的な影響を研究します。一般的に、閉ざされた環境で、言葉も文化も違う人たちと毎日顔を合わせて生活しているとストレスが溜まり、人間関係が悪くなる場合もあるといわれています。普段は仲良しだったのに、長期間閉じ込められて過ごしている間だけ仲が悪くなったという話を聞いたこともあります。現在、ISSでは精神心理の専門家が定期的に宇宙飛行士と面談し、ストレスが溜まっているようなら仕事量を減らすなど調整しています。けれども将来、火星などもっと遠くに行くと、地球と火星の間で通信にタイムラグが生じ、専門家がリアルタイムで面談することができなくなります。そのため面談なしで、映像や測定器などを使って客観的にストレスを評価できるものが必要になってきます。そこで私たちは、ストレス反応を定量的に評価するためのマーカーを多面的に探ります。すでに、話をしているときの声の調子などいくつかのストレスマーカー候補がありますが、これまでにない新しいものを見つけたいと思っています。宇宙では閉鎖環境だけでなく、放射線を多く浴びていることに対するストレスもあると思いますので、そういった複合的な環境でのストレスをどう評価するかが一つの課題です。

研究者の層を厚くし、成果を最大に

— 研究の内容は公募で選定されるのでしょうか?

「宇宙に生きる」ロゴマーク「宇宙に生きる」ロゴマーク

 最初は、すでに宇宙実験の経験がある研究者や知り合い、知り合いの知り合いの研究者にお声がけして、11の研究チームを作りました。そのチームを計画研究班として、補助金を申請する際に提出しましたが、これからは公募による研究者にもご参加いただく予定です。すでに応募が締め切られ、これから今年の春にかけて、文部科学省のルールに沿った選定が行われます。新しい研究を加えることで研究者の層が厚みを増し、プロジェクト全体の成果が最大になることを期待しています。

— 5年間の研究の成果目標を教えてください。

 達成目標は3つあります。1番目は、地球の生物の重力依存性とその可塑性、破綻機構を、細胞や遺伝子レベルで解明することです。可塑性というのは、外的変化に対して生命が適応、修復する機能を指します。無重力環境にいると、筋肉の萎縮がおきたり、平衡感覚を司る耳の前庭などに影響が出たりしますが、その一時的な変化に耐え次第にその環境に適応していくのは、可塑性を持っているからです。ただし、限界を超えると破綻して元に戻れなくなってしまいます。私たちはその破綻機構も解明します。2番目は、無重力や閉鎖環境、睡眠障害などからくるストレスが、生体にどのような影響を与えるか明らかにすることです。ストレスが人間の自律神経や睡眠などをどう変えてしまうか、そのメカニズムとともに理解します。3番目は、宇宙で想定される環境的なリスクの解明です。具体的には、放射線被ばくの身体への影響と、閉鎖環境で微生物がどのように変化するかを明らかにします。そして、すべての研究成果を束ね複合的な関係性を調べることで、地上での研究だけでは気づかなかった、生命の持つ新たな機能を発見します。重力というのは当たり前のようにあるけれども、実は私たちの身体に大いに影響を与えているということが分かるはずです。

宇宙で生きる人にも地球で生きる人にも役立つ

— 研究成果は私たちの暮らしにどう役立ちますか?

古川聡

 この研究成果は、地上の私たちの生活をより豊かにしてくれると思います。骨が弱まり筋肉が萎縮するしくみが分かれば、健康長寿社会における高齢者の予防医学に、また、ストレスが身体に及ぼす影響が分かればストレス社会の克服にもつながります。放射線の研究についても、どうしても放射線を浴びてしまう職業の方のリスク軽減に役立つと思います。研究成果によってすぐに直接的に何か新しい製品ができるということはないかもしれませんが、将来に大きな可能性をもたらすでしょう。

— 将来の宇宙探査なども視野に入れていますか?

 はい。将来、月や火星などを想定した超長期の宇宙滞在や、人類の宇宙移住に役立てたいと思っています。ただ、本プロジェクトは直接的に将来の宇宙探査に貢献することを目的にしていません。宇宙で生きるための研究を通して、微生物から人まで生命体の持つ新たな秘密を知ることを目指しています。宇宙から生命を俯瞰することによって、「当たり前に過ごしている地球環境に秘められた生命機能を発見できる」と考えています。この発見で得られる知識は、これから人類が宇宙で生きていくのに役立つに違いありません。

— 今後の展望をお聞かせください。

 大変貴重な研究機会をいただきましたので、とにかく、いい成果を出せるようプロジェクトをまとめていきたいと思います。宇宙で生きる人にも地球で生きる人にも役に立つような研究成果がきっと出るはずです。私がこのプロジェクトに参加する意義は、宇宙で経験したことを自らの言葉でお伝えして、なぜこのような研究が必要なのか説明できることです。例えば長期宇宙滞在から帰還後の重力酔いは、これまでそれほど問題視されていませんでした。しかし、自らのひどい重力酔い経験を通し、火星を目指す有人宇宙探査の際には大きな課題となることを、研究者の皆様にお伝えすることができました。これからも、自分の経験をできるだけ研究に活かせるよう努めます。また宇宙飛行士としては、後輩たちの支援をしっかり行っていきたいと思います。そしてもし機会があれば、ぜひもう一度、私自身もISSに出張して仕事をし、宇宙に生きるということを改めて実感したいと思います。

 関連リンク:宇宙に生きる

古川聡(ふるかわさとし)

古川聡

JAXA有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット 宇宙飛行士、
有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット 宇宙医学生物学研究グループ長、
平成27年度科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」「宇宙に生きる」領域代表

1989年、東京大学医学部医学科卒業。2000年、同大学博士(医学)。1989年から東京大学医学部附属病院第1外科学教室のほか麻酔科や外科に勤務し、消化器外科の臨床および研究に従事。1999年、NASDA(現JAXA)よりISS搭乗宇宙飛行士として選定され、基礎訓練に参加。2001年、宇宙飛行士として認定される。訓練のほか「きぼう」日本実験棟の開発・運用に関わる技術支援業務にも携わる。2004年、ソユーズ-TMA宇宙船フライトエンジニアの資格を取得。2006年、NASAよりミッションスペシャリストとしての認定を受ける。2011年6月から第28次/第29次長期滞在クルーのフライトエンジニアとして、ISSに約5ヵ月半間滞在。2014年より宇宙医学生物学研究グループ長に就任。

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[ 2016年2月25日 ]

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